スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

伊藤園お~いお茶杯王位戦&スピノザの援用

2023-08-25 19:06:36 | 将棋
 22日と23日に徳島市で指された第64期王位戦七番勝負第五局。
 藤井聡太王位の先手で佐々木大地七段の横歩取り。相振飛車のような形に進みました。
                                        
 形勢を分けたのは第1図で☖同金と取った手でした。ここは☖同歩が普通の手です。☖同金と取ると後手が角,先手が銀を取ってと金を作るという展開になるのですが,たぶん後手はそれでよいとみていたものの,実際はと金を作った先手に分がある分かれだったということでしょう。
 この将棋は第2図の☗2四歩と打ったのが名手で,この手を抜きには語れません。
                                        
 この手自体は制約こそ与えていますが詰めろではありません。だから後手から条件を満たした詰めろが続けば後手の勝ちです。後手にとってはチャンス到来と思える局面。そこで1時間半以上考えたのですが,その条件を満たすことができませんでした。ここに歩を打って勝ちというのはすごい読みだったと思います。
 藤井王位が勝って4勝1敗で防衛第61期,62期,63期に続く四連覇で4期目の王位です。

 第二部定理八備考で円に喩えられているのは,Deusあるいは神の属性attributumで,矩形,正確にいえば面積が等しい無限に多くのinfinita矩形に喩えられているのが個物res singularisでした。しかるにスピノザの哲学では,第一部定理一五にあるように,存在するものはすべて神のうちに存在するのであり,神がなければ何も存在することはできないし,何も考えるconcipereことができないのです。ユークリッド原論における命題では,これは説明しませんでしたが,面積が等しい無限に多くの矩形は円の中にあるのですし,円がなければ存在することも考えることもできないのです。これでみれば分かるように,スピノザは実に適切な仕方でユークリッド原論の命題を援用していることになります。そしてこの適切さは,おそらく『スピノザーナ11号』の巻頭言で河井がいわんとしていること以上の適切さを含んでいると僕は思います。スピノザによるこの援用は,円がなければ矩形はあることも考えることもできないという原理を援用していて,おそらく河井はこのことを念頭に置いてスピノザの援用とカントImmanuel Kantの援用を比較しているように僕には思えるのですが,そればかりではなく,面積が等しい無限に多くの矩形は円の中にあるということ,つまり円に内在しているということも含んでいることになるからです。円は神の比喩であることに再び注目すれば,これはスピノザの哲学の原理のひとつである内在の原理に関しても適切な援用であるといえるからです。
 援用の適切さは,これだけに留まるものではありません。ユークリッド原論の命題によれば,面積が等しい無限に多くの矩形は,円がなければあることも考えることもできないのですが,もし円があるのであればその円の中に必然的にnecessarioあることになりますし,よって考えることもできるということになります。つまりこうした矩形が存在しまた考えられるためには,円があるというだけで十分なのであって,それ以外の条件は何も必要ありません。よってスピノザがこの命題を援用するときには,第一部定理一五だけでなく,第一部定理一六にも合致していることになります。神さえ存在すれば,無限に多くのものが無限に多くの仕方であることになるからです。
コメント
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