スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

人間らしさ&訳出の意図

2023-08-22 19:16:55 | 歌・小説
 Kがお嬢さんに,先生が感じていたのと同じ性的魅力を感じていたと先生が認識していたなら,天罰の条件は満たされます。僕は『こころ』のテクストはそのように読解することができると考えています。
                                        
 先生は奥さんの拒絶を振り切ってKとの同居を開始しました。この時点で奥さんは将来の悲劇を予期していました。まさかKが自殺するとまでは思っていなかったかもしれませんが,先生とKそしてお嬢さんが同居することは,先生にとってもKにとってもよくないことだと奥さんは思っていたのです。しかし先生はそのときには,自分と同居することが,Kのためになると思っていたのです。なぜならKにはどうにも人間らしいところが欠けていると先生はみていて,それが自分と同居し,奥さんやお嬢さんと日々接することで回復するだろうとみていたからです。
 このときのKは故郷からの送金を止められていて,経済的に困窮していました。だから経済的には余裕があった先生が,友人であるKの困窮を見かねて,自分と同居させたというようにこの部分は解釈することができますし,真相はそうであったかもしれません。ただ重要なのは,後に先生がこの当時のことを再構成して遺書に記述したときには,Kを自分と同居させた理由について,Kの経済的困窮よりも,Kの人間性の回復を主だったものとしている点です。つまり,実際にその時どうであったのかということは分からないのですが,少なくとも遺書を書いている時点の先生は,Kの人間性を回復させるためにKを自分と同居させたと認識していたのです。そしてこの認識は,Kが自殺をして以降は変わっていくような要因がありませんから,天罰ということばを口にしたときの先生も,同じように認識していたといってよいでしょう。
 この人間らしさの回復ということの中に,恋愛感情とか性的欲望といったものをKが有するようになるということが含まれていると僕は考えます。おそらく先生のうちにはそうしたものがあったと思うからです。

 ゲプハルト版は『エチカ』の底本として,あるいは『エチカ』だけに限らず,『スピノザ往復書簡集Epistolae』も含めたスピノザの全著作の底本として,世界的に最も著名なものと思われます。世界的に最も著名であるということは,それだけゲプハルト版が底本として信頼に足るものであるということの証であろうと思います。ですから畠中尚志が『エチカ』を邦訳するにあたって,ゲプハルト版を原本として採用したのはごく自然なことであったといっていいと思います。そしてそれによって完成した岩波文庫版が,ゲプハルト版と同じ図を示しているのも,この流れからすれば当然といえるでしょう。
 一方,河井が指摘しているもうひとつの部分には,ゲプハルト版とは無関係な,畠中の何らかの意図が介在している可能性があることは否めません。河井によれば,この部分のスピノザによるラテン語の記述は,infinita inter se aequalia rectangula となっているそうです。そしてこれは直訳するなら,無限に多くの相互に等しい矩形が含まれている,となるのであって,畠中の訳のように,相互に等しい無限に多くの矩形が含まれていることになる,とはならないと河井は指摘しています。もし河井の指摘が正しいのであれば,畠中は訳の順を変更したということになりますが,変更したのであればそこには何らかの意図があったと考えるべきでしょう。しかし畠中は訳注ではこの部分については何も語っていませんから,どういう意図があったのかは不明です。不明であれば推測するほかありませんが,僕には見当がつきません。なので,河井の指摘が正しいのであれば,畠中は何らかの意図をもってこの部分を直訳ではなく意訳したことになるのですが,畠中の真意は不明であるとしか僕にはいいようがありません。
 僕は先述したように,河井が指摘するほどこのことが重要であるとは思わないです。ただ,僕はスピノザがこの部分を記述するにあたって,ユークリッド原論第3巻命題35を意図しているということは,ここで河井が指摘していることによって初めて知りました。このことが僕の見解に影響を与えている可能性はあります。
コメント
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