スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

スピノザ訪問&下水管と枡

2023-08-07 18:54:11 | 哲学
 オルデンブルクHeinrich Ordenburgがイギリス王立協会の秘書官としてオランダを訪問したのは1661年のことです。秘書官に就任したのが前年の1660年ですから,秘書官としての最初の海外訪問であったかもしれません。『スピノザ往復書簡集Epistolae』では旅行となっているのですが,オルデンブルクの役回りからして,オランダでの情報収集という一面もあっただろうと思われます。
                                        
 この訪問期間中に,オルデンブルクはレインスブルフRijnsburgに赴いてスピノザと面会しています。オルデンブルクがオランダを訪問したのは,情報収集であって,スピノザとの面会だったわけではありません。オランダ,おそらくアムステルダムAmsterdamに着いてからスピノザのことを知り,それでわざわざレインスブルフまで行ってスピノザに会ったのです。したがって,オルデンブルクがオランダに着いたときは,スピノザがユダヤ人共同体から追放された人物であるということを知らなかったというより,スピノザという人物がいるということも知らなかったと解しておくのが妥当であると僕は思います。
 オランダに着いた後でスピノザの噂を耳にして,わざわざレインスブルフまで出掛けていっているのですから,オランダに着いた後のオルデンブルクは,面会する以前からスピノザについてある程度のことは知っていたと考えておくのが僕は妥当であると思います。つまり,スピノザがユダヤ人であり,かつユダヤ教会から破門されたということについては,オルデンブルクはアムステルダムに着いた後,スピノザと面会する前に知っていたというのが僕の考えです。
 ただし,このことは絶対視することができるというわけではありません。スピノザとオルデンブルクが面会したということは確実な事実といわなければなりませんが,オルデンブルクが別の用事があってレインスブルフまで赴き,その折にスピノザと面会したということも,あり得ないことではないからです。この場合は,オルデンブルクはスピノザについて詳しいことを知っていたわけではない状況でスピノザと面会したということも,可能性としてはないとはいえないでしょう。
 したがって,スピノザと面会した時点でのオルデンブルクはスピノザについてどういう人物か詳しく知らなかったという可能性は皆無ではありません。ただ,面会したのですから,スピノザがユダヤ人であるということだけは確実に知り得たといわなければならないのです。

 僕の家の敷地内の下水管の配備と下水槽の位置を説明しておきます。
 枡は4つあります。家の北側にふたつ,西側にひとつ,北西の端にひとつです。僕の家の台所は西側にあります。この排水が西側の枡に流れます。2005年に家をリフォームしたとき,台所の近くに洗面台を設置しました。この洗面台の排水も西側の枡に流れていく仕様になっています。
 北側のふたつの枡のうち,東側にある枡,これが溢れてしまった枡ですが,この枡は僕の家の1階のトイレの排水が流れるようになっています。この枡は僕の家の敷地内にありますが,解体された隣家と共用でした。隣家の台所は僕の家とは逆に東向きになっていて,玄関のすぐ横,僕の家側でした。ですから隣家の台所の排水はこの枡に流れるようになっていたのです。ただしこれは前々から知っていたことではなく,枡を調べたときに分かったことです。僕の家の1階のトイレの向が隣家の風呂になっていましたから,あるいは風呂の排水も流れていたのかもしれません。北側のもうひとつの枡は,僕の家の風呂および洗濯機の排水と2階のトイレの排水が流れるようになっていました。
 西側にある排水は北に流れます。北側の1階のトイレの排水は西に流れて北側のもうひとつの枡に合流します。それがさらに西に流れて,台所から北向きに流れてきた下水管と合流します。この合流地点にあるのが北西端の枡になります。この枡はほかの3つの枡と違いがあって,明らかに新しいです。たぶん2005年のリフォームのときに,新たに枡として設置されたか,そうでなければ元々ここにあった枡を新しくしたかのいずれかであると思います。この枡で合流した下水は,さらに北に流れていくのですが,そちらは隣家の敷地内ということになります。
 下水管が詰まっているのではないかということは,事前に隣家を新築する業者の方から聞いていたわけですが,その人がなぜ詰まっていると気付いたのかは僕には分かりません。また詰まった要因が,隣家の解体工事にあったのか,それともその前からだったのかも不明です。解体された隣家との幅は狭く,この枡があるところは人が通るようなところではなかったのです。
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