昨晩の第34回東京スプリント。
好発のギシギシの逃げ。2番手にティアラフォーカス。3番手にリュウノユキナとケイアイドリーとスマートダンディー。6番手にアティードとプライルード。8番手にオーロラテソーロで9番手にサイモンハロルド。やや差があってアポロビビ。また差がある最後尾にエアアルマスという隊列。前半の600mは33秒8のハイペース。
3コーナーを回るとギシギシの外にティアラフォーカスが並び掛けていきました。その後ろはリュウノユキナ,ケイアイドリー,スマートダンディーの併走。直線に入るとティアラフォーカスは苦しくなり,ケイアイドリーが2番手になり,さらにギシギシの前に出て先頭に。ケイアイドリーが前に出たことで進路が開いたリュウノユキナがケイアイドリーの外に出されて追い上げ,2頭の優勝争い。外から差し切ったリュウノユキナが優勝。ケイアイドリーが4分の3馬身差で2着。前をいく馬たちの外から追い上げてきたオーロラテソーロが1馬身差で3着。離れた最後尾から大外を追い込んだエアアルマスが1馬身4分の1差の4着で逃げたギシギシはクビ差で5着。
優勝したリュウノユキナは一昨年のクラスターカップ以来の勝利で重賞3勝目。それ以降は勝っていなかったのですが,2着が7回,3着も1回あるように,この路線の安定勢力。逆にいえばこの馬を上回らなければこの路線でトップに立つことはできないという存在で,このレースではそういった馬が不在であったということでしょう。高齢ですから多くを望むのは酷だと思いますが,まだしばらくは大きく崩れることなく走っていくことができそうです。父はヴァーミリアン。母の父はクロフネ。ビューチフルドリーマー系ワールドハヤブサの分枝。母のふたつ上の半姉に2007年のTCK女王盃を勝ったサウンドザビーチ。
騎乗した横山武史騎手と,今回から管理することになった岩戸孝樹調教師は東京スプリント初勝利。
現実的に存在する人間の力potentiaすなわち実在性realitasが変化することは,スピノザも認めているといわなければなりません。第三部諸感情の定義二は,より小なる完全性perfectioからより大なる完全性へ移行することが喜びlaetitiaという感情affectusであるといっています。つまりスピノザは完全性が移行することは認めているのです。しかるにこの完全性は,第二部定義六によって実在性のことにほかなりません。よって,完全性が移行するというのと実在性が移行するというのは同じ意味だと解さなければなりません。移行するということは変化するということと同じですから,実在性が移行するということは実在性が変化するということです。そして,この実在性というのは力という観点からみたときの現実的本性actualis essentiaにほかならないのですから,実在性が変化するというのは,力としての現実的本性が変化するというのと同じです。したがって,変化した現実的本性の各々の状態が欲望cupiditasとして作用するという國分の主張は,スピノザの哲学の中では成立する,あり得るという意味で成立することになります。
欲望が現実的本性であるということは,第三部諸感情の定義一により明白です。したがって,変化する現実的本性が欲望として作用するという部分はとくに問題視することを何も含んでいないことになります。一方,現実的本性を欲望と等置することができるのであれば,それが変化するということは,論理的に訴えずともそれ自体で明らかだということができます。なぜなら,僕たち自身が意識する僕たちの欲望というものを反省的にみてみれば,それが常に同一の欲望に留まるということはないのであって,むしろ時々刻々と変化しているといわざるを得ないからです。いい換えれば,現に僕たちの欲望が変化しているということ自体が,僕たちの現実的本性が変化しているということの,何よりの証明なのです。
このことから分かるように,スピノザの哲学においては,持続するdurareといわれるような僕たちの現実的本性というのは,一定のものではありません。國分がいうように,普遍的な本性があってその下で欲望が作用するのではなく,作用している欲望そのものがそのときの現実的本性なのです。
好発のギシギシの逃げ。2番手にティアラフォーカス。3番手にリュウノユキナとケイアイドリーとスマートダンディー。6番手にアティードとプライルード。8番手にオーロラテソーロで9番手にサイモンハロルド。やや差があってアポロビビ。また差がある最後尾にエアアルマスという隊列。前半の600mは33秒8のハイペース。
3コーナーを回るとギシギシの外にティアラフォーカスが並び掛けていきました。その後ろはリュウノユキナ,ケイアイドリー,スマートダンディーの併走。直線に入るとティアラフォーカスは苦しくなり,ケイアイドリーが2番手になり,さらにギシギシの前に出て先頭に。ケイアイドリーが前に出たことで進路が開いたリュウノユキナがケイアイドリーの外に出されて追い上げ,2頭の優勝争い。外から差し切ったリュウノユキナが優勝。ケイアイドリーが4分の3馬身差で2着。前をいく馬たちの外から追い上げてきたオーロラテソーロが1馬身差で3着。離れた最後尾から大外を追い込んだエアアルマスが1馬身4分の1差の4着で逃げたギシギシはクビ差で5着。
優勝したリュウノユキナは一昨年のクラスターカップ以来の勝利で重賞3勝目。それ以降は勝っていなかったのですが,2着が7回,3着も1回あるように,この路線の安定勢力。逆にいえばこの馬を上回らなければこの路線でトップに立つことはできないという存在で,このレースではそういった馬が不在であったということでしょう。高齢ですから多くを望むのは酷だと思いますが,まだしばらくは大きく崩れることなく走っていくことができそうです。父はヴァーミリアン。母の父はクロフネ。ビューチフルドリーマー系ワールドハヤブサの分枝。母のふたつ上の半姉に2007年のTCK女王盃を勝ったサウンドザビーチ。
騎乗した横山武史騎手と,今回から管理することになった岩戸孝樹調教師は東京スプリント初勝利。
現実的に存在する人間の力potentiaすなわち実在性realitasが変化することは,スピノザも認めているといわなければなりません。第三部諸感情の定義二は,より小なる完全性perfectioからより大なる完全性へ移行することが喜びlaetitiaという感情affectusであるといっています。つまりスピノザは完全性が移行することは認めているのです。しかるにこの完全性は,第二部定義六によって実在性のことにほかなりません。よって,完全性が移行するというのと実在性が移行するというのは同じ意味だと解さなければなりません。移行するということは変化するということと同じですから,実在性が移行するということは実在性が変化するということです。そして,この実在性というのは力という観点からみたときの現実的本性actualis essentiaにほかならないのですから,実在性が変化するというのは,力としての現実的本性が変化するというのと同じです。したがって,変化した現実的本性の各々の状態が欲望cupiditasとして作用するという國分の主張は,スピノザの哲学の中では成立する,あり得るという意味で成立することになります。
欲望が現実的本性であるということは,第三部諸感情の定義一により明白です。したがって,変化する現実的本性が欲望として作用するという部分はとくに問題視することを何も含んでいないことになります。一方,現実的本性を欲望と等置することができるのであれば,それが変化するということは,論理的に訴えずともそれ自体で明らかだということができます。なぜなら,僕たち自身が意識する僕たちの欲望というものを反省的にみてみれば,それが常に同一の欲望に留まるということはないのであって,むしろ時々刻々と変化しているといわざるを得ないからです。いい換えれば,現に僕たちの欲望が変化しているということ自体が,僕たちの現実的本性が変化しているということの,何よりの証明なのです。
このことから分かるように,スピノザの哲学においては,持続するdurareといわれるような僕たちの現実的本性というのは,一定のものではありません。國分がいうように,普遍的な本性があってその下で欲望が作用するのではなく,作用している欲望そのものがそのときの現実的本性なのです。