第61回しらさぎ賞。
発馬後の正面では隊列が決まりませんでしたが,その後のコーナーで内にいたスティールルージュが前に出ての逃げに。2番手にプリモジョーカーとパワースレイヴ。1馬身半差でジュネスとグランパラディーゾ。2馬身差でトキノゴールド。7番手にセパヌイール。8番手にリネンファッション。3馬身差でティーズハクア。10番手にレディオガガ。5馬身差でロカマドール。5馬身差の最後尾にミスティネイルという縦長の隊列。最初の600mは35秒5のミドルペース。
3コーナーからはスティールルージュ,パワースレイヴ,グランパラディーゾ,セパヌイールの4頭が雁行で直後にジュネス。この後ろまで追い上げてきたトキノゴールドとは3馬身くらいの差があり,優勝争いは前の5頭。スティールルージュは一旦は外から前に出られそうなところがありましたが,直線に入るとまた伸び,鋭く逃げ切って優勝。外のグランパラディーゾの追い上げを凌いだパワースレイヴが2馬身半差で2着。グランパラディーゾがアタマ差の3着。直線でパワースレイヴとグランパラディーゾの間を突こうとしたジュネスがクビ差の4着で大外のセパヌイールがクビ差で5着。トキノゴールドも首差の6着まで追い上げました。
優勝したスティールルージュは昨年の若潮スプリント以来の勝利で南関東重賞は4勝目。このレースは3月の開催で行われたトライアルの上位3頭が揃って出走し,1着,3着,4着。2着馬は今年の2戦を連勝していた上昇馬で,概ね能力が反映された結果にはなっていると思います。スティールルージュはほかの馬に差をつけていますが,これはおそらく雨の中の不良馬場という条件が味方したものであり,差をつけた馬に対して能力で上回っているということではないとみていいでしょう。祖母の12歳上の半兄がサウスヴィグラス。
騎乗した船橋の張田昂騎手は昨年のユングフラウ賞以来の南関東重賞5勝目。しらさぎ賞は初勝利。管理している船橋の張田京調教師は南関東重賞10勝目。しらさぎ賞は初勝利。
現実的に存在している人間は,2本の腕も2本の脚も動かすことができると僕はいいましたが,この運動motusには可動域が含まれます。可動域というのは腕なり脚なりの運動を限定する要素のひとつであって,これが國分がいっているところの制約に該当します。
この制約すなわち可動域にはいくつかの意味があります。たとえば,この人間は50m先にあるものを取るためにはそのものに近づく必要があります。腕を動かすことができるからといって,50m先まで腕を伸ばしてそれを取ることができるわけではありません。また近づくために脚を動かして歩くとしても,一歩でそこまで到達することができるわけではなく,何歩かを要します。これらのことは,この人間の脚や腕に可動域が設定されているからなのであって,この可動域を超越して腕や脚を動かすことはできないのです。
このこと自体は僕たちにとっては自明のことですから,とくにこれを制約として意識することはないだろうと思います。しかしこれは確かに制約のひとつなのです。なぜなら,たとえば僕たちは腕を自由に動かすことができるとか脚を自由に動かすことができるといったります。ですがそれは可動域を超越して動かすことができるということを意味するわけではありません。各々の人間の腕,また個々の人間の脚によって,その腕や脚が現になし得ることは同一ではありません。ある人間の腕にはなし得るけれど他の人間の腕にはなし得ないといいうことはあるでしょうし,このことは脚にも適用することができるでしょう。しかし一般に人間の腕や脚には可動域というものが設定されているのであって,その可動域を超越する事柄は,どんな人間の腕であろうと脚であろうとなし得ることはできないのです。いい換えればどのような人間の腕であろうと脚であろうとなし得ないことがあるのです。
これが國分のいう制約の意味であって,この制約を超越するような自由libertasは人間には与えられていないのです。つまりここで腕とか脚といっているのはひとつの例であって,その他にも多種多様の制約が人間には課せられていて,その制約を超越する一切の自由は人間には与えられていないのです。
発馬後の正面では隊列が決まりませんでしたが,その後のコーナーで内にいたスティールルージュが前に出ての逃げに。2番手にプリモジョーカーとパワースレイヴ。1馬身半差でジュネスとグランパラディーゾ。2馬身差でトキノゴールド。7番手にセパヌイール。8番手にリネンファッション。3馬身差でティーズハクア。10番手にレディオガガ。5馬身差でロカマドール。5馬身差の最後尾にミスティネイルという縦長の隊列。最初の600mは35秒5のミドルペース。
3コーナーからはスティールルージュ,パワースレイヴ,グランパラディーゾ,セパヌイールの4頭が雁行で直後にジュネス。この後ろまで追い上げてきたトキノゴールドとは3馬身くらいの差があり,優勝争いは前の5頭。スティールルージュは一旦は外から前に出られそうなところがありましたが,直線に入るとまた伸び,鋭く逃げ切って優勝。外のグランパラディーゾの追い上げを凌いだパワースレイヴが2馬身半差で2着。グランパラディーゾがアタマ差の3着。直線でパワースレイヴとグランパラディーゾの間を突こうとしたジュネスがクビ差の4着で大外のセパヌイールがクビ差で5着。トキノゴールドも首差の6着まで追い上げました。
優勝したスティールルージュは昨年の若潮スプリント以来の勝利で南関東重賞は4勝目。このレースは3月の開催で行われたトライアルの上位3頭が揃って出走し,1着,3着,4着。2着馬は今年の2戦を連勝していた上昇馬で,概ね能力が反映された結果にはなっていると思います。スティールルージュはほかの馬に差をつけていますが,これはおそらく雨の中の不良馬場という条件が味方したものであり,差をつけた馬に対して能力で上回っているということではないとみていいでしょう。祖母の12歳上の半兄がサウスヴィグラス。
騎乗した船橋の張田昂騎手は昨年のユングフラウ賞以来の南関東重賞5勝目。しらさぎ賞は初勝利。管理している船橋の張田京調教師は南関東重賞10勝目。しらさぎ賞は初勝利。
現実的に存在している人間は,2本の腕も2本の脚も動かすことができると僕はいいましたが,この運動motusには可動域が含まれます。可動域というのは腕なり脚なりの運動を限定する要素のひとつであって,これが國分がいっているところの制約に該当します。
この制約すなわち可動域にはいくつかの意味があります。たとえば,この人間は50m先にあるものを取るためにはそのものに近づく必要があります。腕を動かすことができるからといって,50m先まで腕を伸ばしてそれを取ることができるわけではありません。また近づくために脚を動かして歩くとしても,一歩でそこまで到達することができるわけではなく,何歩かを要します。これらのことは,この人間の脚や腕に可動域が設定されているからなのであって,この可動域を超越して腕や脚を動かすことはできないのです。
このこと自体は僕たちにとっては自明のことですから,とくにこれを制約として意識することはないだろうと思います。しかしこれは確かに制約のひとつなのです。なぜなら,たとえば僕たちは腕を自由に動かすことができるとか脚を自由に動かすことができるといったります。ですがそれは可動域を超越して動かすことができるということを意味するわけではありません。各々の人間の腕,また個々の人間の脚によって,その腕や脚が現になし得ることは同一ではありません。ある人間の腕にはなし得るけれど他の人間の腕にはなし得ないといいうことはあるでしょうし,このことは脚にも適用することができるでしょう。しかし一般に人間の腕や脚には可動域というものが設定されているのであって,その可動域を超越する事柄は,どんな人間の腕であろうと脚であろうとなし得ることはできないのです。いい換えればどのような人間の腕であろうと脚であろうとなし得ないことがあるのです。
これが國分のいう制約の意味であって,この制約を超越するような自由libertasは人間には与えられていないのです。つまりここで腕とか脚といっているのはひとつの例であって,その他にも多種多様の制約が人間には課せられていて,その制約を超越する一切の自由は人間には与えられていないのです。