スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

フラワーパーク&自由論の起点

2023-04-23 19:04:41 | 名馬
 15日の中山グランドジャンプを勝ったイロゴトシの父は2015年に東京新聞杯を勝ったヴァンセンヌでその母はフラワーパークです。母の7つ下の半弟に1988年の阪神大賞典と1989年の京都記念を勝ったダイナカーペンター
 デビューは3歳の10月とかなり遅くなりました。このレースは10着でしたが2戦目で初勝利。すると3戦目と4戦目も勝ち,準オープンの初戦は3着。2戦目で準オープンを突破するとオープンで2着。そしてシルクロードステークスに出走するとデビューからわずか半年で重賞を制覇。さらに高松宮記念をレコードタイムで制し,一気に大レース制覇も達成しました。このレースはナリタブライアンの出走で話題を集めたレースです。この後,安田記念に出走しましたがこれは距離が長く9着。
 11月にCBC賞で復帰して2着。当時は暮れに行われていたスプリンターズステークスを勝って大レース2勝目。この年のJRA賞で最優秀短距離馬と最優秀父内国遺産馬に選出されました。
 翌年はマイラーズカップで復帰して4着。距離を戻したシルクロードステークスも4着に敗れると高松宮杯も8着。秋はスワンステークスで復帰してタイキシャトルの6着。CBC賞が4着,スプリンターズステークスもタイキシャトルの4着で現役を退きました。
 デビューした1995年と翌1996年は素晴らしい成績でしたが,1997年はその輝きを失ってしまいました。デビューが遅かったのでやや間隔を詰めて多くのレースを使ったのですが,そのダメージが後に出てきてしまったのではないかと思います。

 本性essentiaに関連する考察はここまでとして,次の考察に移ります。
                                        
 『はじめてのスピノザ』の第三章は自由へのエチカというタイトルになっています。この冒頭部分でスピノザの哲学における自由libertasの概念notioが説明されています。ただしこれは,神的自由についての説明というより人間的自由についての説明であって,かつ人間的自由の中でも僕が能動的自由といっている自由についての説明になっています。僕たちが現実的に存在しているとき,自由という概念が最も意味を成すのはこの意味での自由ですから,國分がこのことについて念入りに説明しているのは当然だと僕は思います。このとき國分の説明が,僕の説明の仕方とは異なった観点からの説明になっていて,それが,國分が意図しているのかどうかということとは別に,スピノザの哲学のほかの部分の原理と関係させることができるようなものになっています。このような方法で能動的自由を説明することは,きわめて意義深いと思いますので,國分の説明というのをさらに深く掘り下げていくことにします。
 僕たちは自由ということを,束縛がないという意味で用います。しかしスピノザは自由というのをそのようには考えません。正確にいうと,第一部定義七でいわれている自由は一切の束縛や制約がない自由といえますが,これは神的自由なのであって,人間についてこれを適用することはできません。むしろ人間が現実的に存在するときには,何の束縛も受けないとか何の制約も受けないということは不可能です。これは第四部定理四から明白だといえるでしょう。ですから人間は何らかの束縛なり制約なりを常に受けつつ現実的に存在していることになります。ですから,束縛がないとか制約がないという状態のことを人間にとっての自由というのであれば,人間には自由はないという結論しか出ないのです。スピノザはこのことを前提として,では人間にとっての自由とは何かということを考えていくことになります。つまりこのことがスピノザの哲学における自由論の起点であるといわなければなりません。
 そしてもうひとつ,起点となることがあります。それは個物res singularisの現実的本性actualis essentiaを示した第三部定理七です。
コメント
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