スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

農林水産大臣賞典東京大賞典&抑制と除去

2022-12-29 19:03:47 | 地方競馬
 第68回東京大賞典。本田正重騎手が27日の9レースで落馬し,右鎖骨の骨折の疑いがあり,ミヤギザオウは今野騎手に変更。
 逃げたのはショウナンナデシコ。2番手にカジノフォンテン。3番手はノットゥルノとアトミックフォース。5番手にラッキードリーム。6番手にライトウォーリアとメイショウハリオ。8番手にウシュバテソーロとサンライズホープとリンゾウチャネル。11番手にゴールドホイヤーとミヤギザオウ。ドスハーツとレッドガランの2頭がやや離れた最後尾を併走という隊列。前半の1000mは63秒5のスローペース。
 向正面で大外からサンライズホープとリンゾウチャネルの2頭が上昇。このために3コーナーではショウナンナデシコ,カジノフォンテン,サンライズホープ,リンゾウチャネルの4頭が雁行に。コーナーの途中でカジノフォンテンとリンゾウチャネルは脱落し,直線の入口ではショウナンナデシコとサンライズホープの併走に。直線に入るとショウナンナデシコが一旦はサンライズホープとの差を広げたものの,またサンライズホープが追ってきて競り合い。するとその2頭の外から伸びてきたメイショウハリオが先頭に。しかしそれも束の間,サンライズホープとリンゾウチャネルが動いた段階ではじっとして,直線は大外から脚を伸ばしたウシュバテソーロの末脚が一閃。あっさりとメイショウハリオを差し切り,そのまま抜け出して優勝。外から捲られる形になったため動くことができず,大外のウシュバテソーロが抜けてからメイショウハリオのすぐ外から伸びたノットゥルノが1馬身4分の3差で2着。メイショウハリオが2馬身半差で3着。
 優勝したウシュバテソーロは重賞初挑戦での大レース制覇。今年は例年に比べて出走メンバーのレベルが低く,ここのところオープンを連勝していたこの馬にも十分に勝機があるだろうと思っていました。勝ち方は鮮やかで,つけた着差も十分ではありますが,これからもトップクラスで戦っていかれるのかどうかは,僕はこのレースだけでは判断できないのではないかと思います。父はオルフェーヴル。母の父はキングカメハメハ。母の7つ上の半兄に2003年の東京新聞杯を勝ったボールドブライアン。Ushbaはジョージアにある山の名前。
 騎乗した横山和生騎手は宝塚記念以来の大レース3勝目。東京大賞典は初勝利。管理している高木登調教師は中山大障害に続いての大レース8勝目。第61回以来7年ぶりの東京大賞典2勝目。

 第四部定理七は,感情はそれと反対のより強力な感情affectu fortiore, et contrarioによって抑制されまた除去されるといっています。ここで反対の感情といわれているのは,相反する感情を意味するのであって,同じ主体subjectumのうちに,あるいは同じ知性intellectusや同じ身体corpusのうちに,同時に存在することができない感情です。そしてそうした相反する感情が,元の感情より強力である場合だけ,元の感情は抑制されまた除去されるのです。受動感情が感情であることは当然ですから,どのような受動感情も,それが抑制されたり除去されたりするのは,この様式でしかないということになります。
                                   
 そこで自由の人homo liberあるいは賢者は,この様式に従って,受動感情を抑制したり除去したりしようとします。つまり自身のうちに,元の受動感情より強力な感情を発生させることによって,受動感情を抑制しまた除去するのです。自由の人とか賢者というのは,具体的にはある行動をなす人の総体のことですが,このような仕方で受動感情の抑制や除去に励むことは,その人が自由の人でありまた賢者であることの,必要条件のひとつを構成するといっていいでしょう。
 ただし,受動感情を抑制したり除去したりするのにそれより強力な感情を発生させるといっても,その感情がまた受動感情であったら元も子もありません。それはある受動感情から別の受動感情に隷属するという意味であって,これでは奴隷は奴隷のままですし,無知者は無知者のままであるからです。よって,受動感情を抑制するより強力な感情は,能動的な感情でなければなりません。ただ,基本感情affectus primariiのうち,能動的な感情であり得るのは第三部定理五九によって喜びlaetitiaであるか欲望cupiditasであるかのどちらかで,能動的な悲しみtristitiaはありませんから,実際に受動感情を抑制するために発生させるのは,能動的な喜びないしは能動的な欲望であって,こうした喜びまたは欲望を発生させる限りで,その人は自由の人といわれ,また賢者といわれ得ることになります。
 ここには,理性ratioそのものが感情を抑制したり除去したりすることはできないという,スピノザの思想の特徴的原理が含まれています。ただそれはここでは探求しませんので別の部分を参照してください。
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