スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

ホープフルステークス&受動感情

2022-12-28 19:19:38 | 中央競馬
 第39回ホープフルステークス
 モンドプリュームは発馬後にたたらを踏むような形になり2馬身の不利。逃げたのはトップナイフで2番手にドゥラエレーデ。3番手にシーウィザードとフェイトとミッキーカプチーノ。2馬身差でグリューネグリーン。7番手にファントムシーフ。8番手にセレンディピティ。9番手にセブンマジシャン。10番手にハーツコンチェルトとボーンイングランデとジュンツバメガエシ。13番手にヴェルデンベルクとジェイパームスとキングズレイン。16番手にガストリック。2馬身差でモンドプリューム。最後尾にスカパラダイスという隊列。前半の1000mは61秒5のスローペース。
 3コーナーからはトップナイフとドゥラエレーデが雁行。後続も差を詰めてきましたが,直線の入口でこの2頭がまた後ろとの差を広げました。ここからフィニッシュまでこの2頭の競り合い。2頭はほとんど並んでのフィニッシュとなり写真判定。優勝は外のドゥラエレーデ。逃げ粘ったトップナイフはハナ差で2着。大外を追い込んできたキングズレインが1馬身4分の1差で3着。
 優勝したドゥラエレーデはこれが2勝目での大レース制覇。前走は東京スポーツ杯2歳ステークスに出走していて4着。一般的に2歳の大レースはずっと勝ち負けしていた馬たちが上位争いを演じるのもので,この馬のようなタイプが勝つのはレアケース。これは能力よりも展開が結果に及ぼす影響が大きかったからだと思われます。なのでこのレースの結果だけでクラシック候補とはいえないかもしれません。父はドゥラメンテ。母の父はオルフェーヴル。母のふたつ上の半兄に2016年のJRA賞の最優秀3歳牡馬のサトノダイヤモンド。Eredeはイタリア語で最高の後継者。
 騎乗したドイツのバウルジャン・ムルザバエフ騎手は日本馬に騎乗しての大レースも日本での大レースも初勝利。管理している池添学調教師は開業から7年10ヶ月弱で大レース初制覇。

 受動passioを受動感情だけに限定しても,現実的に存在するすべての人間がそこから免れることはできない,いい換えればその限りにおいて奴隷でありまた無知者であるということは,人間の現実的本性actualis essentiaから具体的に帰結します。
                                    
 第三部定理二七によれば,ある人が何らかの感情affectusに刺激されていると表象するimaginariと,それを表象した当の人も,それと同じ感情に刺激されます。いわゆる感情の模倣imitatio affectuumです。こうした感情の模倣は受動感情のひとつであって,現実的に存在する人間が他の人間と関係をもつ場合には,必ず生じます。感情の模倣は人間の現実的本性から生じるからです。
 もしもある人間が現実的に存在し,その人間が他の人間とは一切の関りをもたないとするなら感情の模倣は生じないでしょうが,その場合には第四部定理三が適用されるのであり,その人間は生きていくことができません。人間がたったひとりで全自然に対峙していくということはできないからです。よって,現実的に人間が存在するということは,その人間が他者と何らかの関係をもっているということを意味します。よってその人間には感情の模倣が生じます。なので現実的に存在する人間は,受動感情から免れるということはできないことになり,その限りにおいては奴隷であり無知者であるということになります。この点もまた重要なのであって,もしも受動感情だけに限定したとしても,自分は一切の受動感情から免れることができるような自由の人homo liberであると思っているような人や,賢者であるといったりするような人は,自分について誤っているのであり,むしろ奴隷であり無知者であるといわれなければなりません。
 ただし,たとえ受動感情から免れ得ないのが現実的に存在する人間であるとしても,その受動感情に長くまた多く刺激されている人間もいれば,受動感情に刺激されるafficiことが短くまた少ないという人間が存在することは確かです。その差異によって,奴隷または無知者に近い人間と,自由の人あるいは賢者に近い人間とに分かれていくということは僕は否定しません。少なくとも受動感情をどのように処理するべきか知っているかいないかで,その差は歴然としてくる筈だからです。
コメント
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