スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

アユサン&無知者

2022-12-27 19:12:22 | 名馬
 朝日杯フューチュリティステークスを勝ったドルチェモアの母はアユサンです。父はディープインパクト
 2歳10月にデビューして新馬戦を勝利。すぐにアルテミスステークスに出走して2着になりました。賞金を加算できたので阪神ジュベナイルフィリーズへ。ここは7着でした。
 3歳春のチューリップ賞で復帰。このレースは3着でしたが,出走権利を得た桜花賞で優勝。重賞初制覇を達成するとともに,大レースの勝ち馬にもなりました。オークスは4着。
 この後で故障してしまい,復帰したのは4歳3月の中山記念。ジャスタウェイの勝ったこのレースは最下位。さらにダービー卿チャレンジトロフィーも11着と大敗を喫したため,競走生活には見切りをつけて繁殖牝馬となりました。
 繁殖入りして最初の産駒は競走馬としてデビューできませんでした。2頭目は4戦して未勝利。3頭目が2勝あげて,産駒として初の勝ち馬に。この馬はまだ現役です。4頭目は6戦して1勝でこちらも現役。そして5頭目がドルチェモアです。競走馬として超一流であったかといえばそういうわけではありませんが,大レースは勝ちました。そして産駒の1頭がやはり大レースを勝ったのですから,名牝の1頭といってもいいでしょう。

 第四部定理四系は,現実的に存在する人間は常に受動passioに隷属するといっています。これでみれば,現実的に存在する人間は,常に奴隷であるあるいは同じことですが,常に無知者であることになります。これはこれで重要です。人間が完全な意味で自由の人homo liberであるとか賢者であるとかいうことはないのです。もしある人が『エチカ』を読んで,自分は賢者であると思ったり,自由の人であるといったりするとすれば,それはその人が誤っているということを示します。むしろそのような人は奴隷であり無知者であるというべきでしょう。
                                   
 しかし,自由の人とか賢者というのが何の意味も持たないというわけではありません。確かに人間は常に受動に隷属しているのですが,その隷属には程度の差があるからです。現実的に存在している人間は,受動に隷属していないのなら能動的であることになります。もっとも,常に受動に隷属しているのですから,現実的に存在している人間は,完全な意味で能動的であるということはできません。これは最も単純にいえば,人間は空気がなければ生きていくことができないというような意味です。現実的に存在している人間は理性ratioに従っている限りでは能動的ではありますが,そのときにも呼吸はしているのであり,その限りでは受動的です。人間が常に受動に隷属しているとは,単純にはこのような意味であって,人間が常に受動感情に隷属しているというようなことを意味しているわけではありません。したがって,受動感情に隷属してばかりいる人間と,理性に従っている人間とを比較すれば,後者は前者よりも賢者ですし,同様に自由の人であることになります。この点で,ある人間が自由の人であるといったり賢者であるといったりすることには意味があるのです。つまり,賢者が存在するとか自由の人が存在するということは,第四部定理四や第四部定理四系と齟齬を来すことはありません。
 なお,受動感情についても,一切の受動感情に隷属しない人間が現実的に存在するということはありません。どんな人間にも受動感情に隷属することはあるのであって,その限りでは現実的に存在するすべての人間は,無知者であり奴隷です。
コメント
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