第三部諸感情の定義の末尾の感情の総括的定義説明では,次のこともいわれています。

「感情の形相を構成する観念は,身体あるいはその一部分の活動能力あるいは存在力が増大しあるいは減少し,促進されあるいは阻害されるにつれて,身体あるいはその一部分が呈する状態を表示ないし表現しなければならぬ」。
この部分は,感情の総括的定義の中でいえば,精神mensがその観念ideaによって自分の身体corpusあるいは身体の一部分について,以前より大なるあるいは小なる存在力を肯定するaffirmareという部分と関係しています。これもまた,この部分のスピノザのいい方から分かるように,感情affectusの形相formaを構成する観念についていわれているのであって,身体のある状態そのものについて言及されているわけではありません。また同時に,この観念は定義Definitioそのものの中で混乱した観念idea inadaequataといわれていますから,十全な観念idea adaequataではありません。いい換えれば受動感情についてこのようにいわれているのであり,能動的な感情についてはこれは妥当しません。精神の能動actio Mentisによって僕たちがある感情に刺激されるafficiということはあるのですが,その場合には僕たちの存在力が減少したり阻害されたりするということは生じ得ないからです。これらの点に注意した上で,なぜ説明のこの部分が成立するのかを解説します。
第二部定理一六系二によって,僕たちが外部の物体を表象したときの観念は,その外部の物体の本性naturaより僕たちの身体の状態というのをより多く表示あるいは表現します。これは混乱した観念一般にいえることなのですから,当然ながらある感情が混乱した観念としてみられるときにも妥当しなければなりません。したがって,僕たちの受動感情は,僕たちの身体の状態を表示あるいは表現する思惟の様態cogitandi modi,いい換えれば混乱した観念であることになります。
このとき,受動感情という混乱した観念が具体的に何を表示あるいは表現しているのかということが,この説明でいわれているのです。そしてそれは,基本感情affectus primariiが欲望cupiditas,喜びlaetitia,悲しみtristitiaの三種類であって,あらゆる受動感情はそれらのうちどれかに還元することができるからです。なので受動感情を観念としてみた場合に,それが表示あるいは表現している自分の身体の状態は,存在力が増大あるいは促進されるか,減少あるいは阻害されるような状態なのです。
12月4日,土曜日。妹は土曜レクリエーションがありました。前日に調湿材を散布する工事をすることができたのは,この日が土曜レクリエーションであったために,妹を迎えには行かない予定を組んでいたためでした。妹によればこの日の土曜レクリエーションでは雪だるまを作ったとのことでした。本物の雪を使って雪だるまを作ったとは考えられませんから,クリスマスツリーの装飾のような雪だるまを工作したという意味だったと思います。
12月9日,木曜日。午後8時55分にピアノの先生から電話がありました。12日に予定されていたピアノのレッスンの開始時刻の通知でした。
12月10日,金曜日。通所施設へ妹を迎えに行きました。そのままО眼科に直行し,目薬の処方箋を出してもらいました。
12月12日,日曜日。妹のピアノのレッスンがありました。開始時刻は午後5時半でした。5時半というのはレッスンの開始時刻として基本的に予定されている時刻なので,この時刻から開始になる場合は先生からの電話はないということの方が多いです。このときはそれでも連絡があったということになります。
12月13日,月曜日。妹を通所施設に送りました。
12月15日,水曜日。妹の受給者証が送られてきました。これは計画相談を請け負っている会社の名称が変更されたことに伴うものです。サービス申請書を送付したことに対するものではありません。要するにこのときに送付された受給者証は,今年の2月までのもので,それ以降のものはまた後に送付されてくることになります。
12月16日,木曜日。妹を通所施設へ迎えに行きました。
12月17日,金曜日。前日に妹を迎えに行ったのは,この日に本牧脳神経外科への通院があったからでした。前回の通院のときに妹は血液検査をしていますので,その結果が出ていました。異常があったのはHbA1cで,3.5%と,だいぶ低い値でした。これは妹は低血糖を発症していることがあるということです。ただ,採血の目的は妹の薬の効果を確かめるためのものですから,低血糖について何か特別のことをするということはありません。薬の効果には問題はありませんでした。

「感情の形相を構成する観念は,身体あるいはその一部分の活動能力あるいは存在力が増大しあるいは減少し,促進されあるいは阻害されるにつれて,身体あるいはその一部分が呈する状態を表示ないし表現しなければならぬ」。
この部分は,感情の総括的定義の中でいえば,精神mensがその観念ideaによって自分の身体corpusあるいは身体の一部分について,以前より大なるあるいは小なる存在力を肯定するaffirmareという部分と関係しています。これもまた,この部分のスピノザのいい方から分かるように,感情affectusの形相formaを構成する観念についていわれているのであって,身体のある状態そのものについて言及されているわけではありません。また同時に,この観念は定義Definitioそのものの中で混乱した観念idea inadaequataといわれていますから,十全な観念idea adaequataではありません。いい換えれば受動感情についてこのようにいわれているのであり,能動的な感情についてはこれは妥当しません。精神の能動actio Mentisによって僕たちがある感情に刺激されるafficiということはあるのですが,その場合には僕たちの存在力が減少したり阻害されたりするということは生じ得ないからです。これらの点に注意した上で,なぜ説明のこの部分が成立するのかを解説します。
第二部定理一六系二によって,僕たちが外部の物体を表象したときの観念は,その外部の物体の本性naturaより僕たちの身体の状態というのをより多く表示あるいは表現します。これは混乱した観念一般にいえることなのですから,当然ながらある感情が混乱した観念としてみられるときにも妥当しなければなりません。したがって,僕たちの受動感情は,僕たちの身体の状態を表示あるいは表現する思惟の様態cogitandi modi,いい換えれば混乱した観念であることになります。
このとき,受動感情という混乱した観念が具体的に何を表示あるいは表現しているのかということが,この説明でいわれているのです。そしてそれは,基本感情affectus primariiが欲望cupiditas,喜びlaetitia,悲しみtristitiaの三種類であって,あらゆる受動感情はそれらのうちどれかに還元することができるからです。なので受動感情を観念としてみた場合に,それが表示あるいは表現している自分の身体の状態は,存在力が増大あるいは促進されるか,減少あるいは阻害されるような状態なのです。
12月4日,土曜日。妹は土曜レクリエーションがありました。前日に調湿材を散布する工事をすることができたのは,この日が土曜レクリエーションであったために,妹を迎えには行かない予定を組んでいたためでした。妹によればこの日の土曜レクリエーションでは雪だるまを作ったとのことでした。本物の雪を使って雪だるまを作ったとは考えられませんから,クリスマスツリーの装飾のような雪だるまを工作したという意味だったと思います。
12月9日,木曜日。午後8時55分にピアノの先生から電話がありました。12日に予定されていたピアノのレッスンの開始時刻の通知でした。
12月10日,金曜日。通所施設へ妹を迎えに行きました。そのままО眼科に直行し,目薬の処方箋を出してもらいました。
12月12日,日曜日。妹のピアノのレッスンがありました。開始時刻は午後5時半でした。5時半というのはレッスンの開始時刻として基本的に予定されている時刻なので,この時刻から開始になる場合は先生からの電話はないということの方が多いです。このときはそれでも連絡があったということになります。
12月13日,月曜日。妹を通所施設に送りました。
12月15日,水曜日。妹の受給者証が送られてきました。これは計画相談を請け負っている会社の名称が変更されたことに伴うものです。サービス申請書を送付したことに対するものではありません。要するにこのときに送付された受給者証は,今年の2月までのもので,それ以降のものはまた後に送付されてくることになります。
12月16日,木曜日。妹を通所施設へ迎えに行きました。
12月17日,金曜日。前日に妹を迎えに行ったのは,この日に本牧脳神経外科への通院があったからでした。前回の通院のときに妹は血液検査をしていますので,その結果が出ていました。異常があったのはHbA1cで,3.5%と,だいぶ低い値でした。これは妹は低血糖を発症していることがあるということです。ただ,採血の目的は妹の薬の効果を確かめるためのものですから,低血糖について何か特別のことをするということはありません。薬の効果には問題はありませんでした。