スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

彼岸過迄&南公会堂

2022-03-20 19:12:49 | 歌・小説
 『漱石と三人の読者』で,『彼岸過迄』の読解に関する注意点があげられています。この小説はまだこのブログで取り上げていませんから,さきにそちらを紹介します。
                                        
 タイトルにはとくに意味があるわけではありません。これは朝日新聞に掲載された小説ですが,掲載の終了が彼岸過ぎになるであろうと予測されたため,『彼岸過迄』と命名されました。つまり小説の内容と小説のタイトルにはまったく関係がありません。
 漱石は以前から,個々の短編を重ねて,それがひとつの長編となるような小説は,新聞小説として面白いのではないかと考えていました。『彼岸過迄』はその漱石の思惑を具現化した作品になっています。六篇の短編小説からなっていて,その六篇が全体としてひとつの長編小説になっています。ある種の実験といえる作品といえるでしょうが,実験自体は成功していると思います。ただ,この小説はこのような形式を有しているがゆえに,読解上の注意が必要になってきます。語られているのが現在のことであるのか過去のことであるのかということを,読んでいるうちに間違いやすくなってしまうのです。
 ひとつの長編小説としてみた場合には,その物語の主人公は須永という男になります。その須永には千代子という従妹がいて,そのふたりの間には確かに恋愛感情があるといってよいのですが,須永は須永で千代子に対してある種の疑惑とでもいうべきものをもっていて,一方で千代子の方は須永に対して明確な不満というのを抱いています。前述したように主人公は須永なので,基本的に須永の感情の方が主軸として語られていくのですが,それが主軸として語られていくがために,なぜ千代子が須永に対して不満を持つのかということも,読者にはよく理解できるのではないかと思います。
 須永はあまりに自意識が過剰なので,もしかしたら感情移入するのは難しいという面があるかもしれません。なので純粋にテクストを追うような読み方を僕は推奨します。

 妹が本牧脳神経外科に通院するようになる前に通っていたこども医療センターは,南区内にあります。ただここは港南区とか戸塚区の近辺です。そこから現在の南区役所まで来るというのはたぶん大変なことだと思います。区役所の移転によって,便利になった人もいるでしょうが,不便になったという人もそれなりにいたのではないかと思います。
 僕の家は磯子区内にありますが,横浜市内にある区役所のうち,僕の家から最も近いところにあるのは南区役所です。磯子区役所もそこまで遠いわけではありませんから,それよりなお近いということであれば,接種会場としては十分です。実際に僕が接種した本牧地区センターと比べても,南区役所はさらに近いのです。妹の接種のためですから往復はバスになりますが,そこに行くためのバス停も,僕の家からそんなに遠くありません。妹と一緒に歩いても,10分はかからないでしょう。この点でも,南区役所の建物の中にある南公会堂は,接種会場として申し分なかったのです。
 これは余談になりますが,このときに南公会堂を接種会場として予約することができたことについて,南区は当時の総理大臣の地元であるからだという話を,僕は複数の人から耳にしました。これはさすがに話半分だろうと思いましたし,僕自身は現在でもそう思っていますが,こういうことを真剣に信じるという人もそれなりにいるということもまた事実なのでしょう。
 妹の接種は午後3時に予約してありました。みなと赤十字病院の歯科も,本牧脳神経外科も,僕は午後3時の予約にしてあります。これは妹がその日に昼まで眠っていても間に合うようにするためであり,このときの予約を午後3時にしたのも同様の理由でした。公会堂の周囲が事前に待つための場所として設営してあり,接種場所は公会堂のステージ前に設置してありました。そして接種後は公会堂の客席で待機することになりました。客席ですから,これはその場に設置してある椅子に座って待機するということです。妹はひとりでこれらをこなすことは不可能ですから,そのすべてに僕が付き添いました。それが必要な人もいますから,付き添いは最初から許可されていました。
コメント
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