スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

合理的な説明&効果

2021-08-27 19:12:46 | 将棋トピック
 僕は三浦九段が対局相手に疑義を与えるような不自然な離席をしたということは事実だと判断していました。このことは実際に告発が行われたことから明白だと判断したからです。また,その離席について三浦九段が,告発した棋士や調査した棋士を納得させるような合理的な説明をできなかったということも事実だったと判断していました。これも,その理由はともあれ,実際に処分が下されたということから明らかだと判断したからです。しかし,三浦九段に合理的な説明があり得たのかということについてはあまり考えませんでした。不自然な離席と合理的な説明について言及する場合,このケースに妥当する場合についても考えるべきなのであって,それについて考えなかったのは明らかに僕の落ち度であったと今は考えています。
 僕は三浦九段が対局相手に疑義を与えたというだけで,三浦九段自身に非があったといいましたし,現在でもそう考えています。しかし一方で,三浦九段がルールを犯したとは判断していませんでしたし,これについても現在でも同様の判断です。このとき,ルールに違反していないような離席について,合理的に説明することは,最初から無理であったという可能性を考えておかなければなりません。
 離席することが棋士の自由に委ねられている以上,棋士は何か特別な理由がなくても離席するという場合がある筈です。そのことについて後に離席の理由を尋ねられたとしても,曖昧にしか答えられないのは当然です。つまり,離席の理由を問われた場合の答えとしては,実際に三浦九段がそうしたように,身体を休めるためとか,あるいは気分をリフレッシュするためといったような,茫洋とした答えしかあり得ないとも考えられるのです。
 僕は三浦九段の解答,すなわち身体を休めるためという理由を,それが事実であると前提してすべてを判断していました。ですが実際にはそうではなく,離席の理由を問われた三浦九段は,そこに明確な理由があったわけではないので,とりあえず理由になりそうなことを答えたのにすぎなかったのかもしれません。もちろんこれもそうであったと断定できるものではありませんが,離席の理由に対する三浦九段の解答を,そのまま真に受けるのは実は危険かもしれないということは,その時点で考えておくべき事柄でした。

 近藤の学習方法が特別なもの,あるいは独自のものであったのは間違いありません。しかしこの学習方法を繰り返しているうちに,近藤は問題を一瞥しただけで答えを導き出すことができるようになったのですから,効果は覿面であったといえます。実際に新しい単元なり分野なりに入ったばかりの時点で行われるテストは,近藤には敵わない相手,再び近藤の表現を借りれば頭のキレる子がいたのですが,その分野や単元が終了した時点で行われるテストでは,近藤はだれにも負けませんでした。つまり近藤はこの独自の学習方法を継続することによって,だれよりも数学,もう少し限定的にいえば,数学のある分野なり単元なりについて,それをこなすことができるようになったのです。
                                        
 このときに近藤の知性intellectusのうちに生じた現象について,スピノザの哲学の文脈から僕が説明します。
 近藤の学習方法は,問題を読んだらすぐに答えを見て,その答えがいかに導かれるかという解説を読むということを繰り返すものでした。このとき,読むというのは,文字通りにその文章を読むということを意味しているわけではなく,それを理解するということを意味しています。近藤は単に解説を読むとしか記述していませんが,実際に近藤がなしていたことは,それを理解するということだったと断定してよいと思われます。
 数学の問題からある答えがいかにして導かれるかという解説は,合論理的に書かれている筈です。これは数学というのが合論理的な学問であるということから明白でしょう。よってそれはスピノザの哲学でいえば,第二種の認識cognitio secundi generisに基づいて書かれているということになります。スピノザの哲学でいう第二種の認識は,共通概念notiones communesに基づく理性ratioによる認識のことですが,合論理的な認識というのはすべてそれに該当します。あるいは,数学というのが合論理的な学問であるという点に注意するなら,数学というのがそもそも第二種の認識に基づいた学問であるということができます。なのでその解説が第二種の認識に基づいて書かれているというのは,スピノザの哲学の文脈からは,きわめて当然であるとか,あるいはそれ自体で明らかであるといえることなのです。
コメント
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