スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

燦燦ダイヤモンド滝澤正光杯&経歴

2021-08-24 19:07:36 | 競輪
 松戸競輪場で行われた千葉記念の決勝。並びは吉田‐佐々木の東日本,渡辺に山口,松浦-岩津-藤岡の中四国,中川-荒井の九州。
 松浦がスタートを取って前受け。4番手に中川,6番手に吉田,8番手に渡辺で周回。残り3周のバックの入口から渡辺が上昇。バックの出口で松浦を叩きました。その後のコーナーで今度は吉田が上昇。ホームの入口で渡辺を叩いて前に。5番手に松浦,8番手に中川の一列棒状に。バックに入ると松浦が発進。吉田を叩いたところで打鐘。このラインに続いていた中川がそれを捲りにいきましたが,結果的に不発。渡辺もその後ろから捲りにいったもののやはり不発。そのままだれも前に出せなかった松浦が逃げ切って優勝。マークの岩津が4分の1車輪差で2着。さらに藤岡も4分の3車身差の3着に続いて中四国ラインの上位独占。
 優勝した松浦悠士選手はサマーナイトフェスティバル以来の優勝。記念競輪は5月の函館記念以来で12勝目。千葉記念は初優勝。この開催は松浦と新田の争いとみられましたが,新田が準決勝で敗退。このために決勝は脚力で明らかに上位となりました。打鐘から先行してそのまま逃げ切り,なおかつラインで上位を独占という結果でしたから,確かに脚力で圧倒的に勝っていたということになります。中川が捲ってきたために被ってしまったという理由はあるでしょうが,吉田はあまりに無策だったような気はします。

 日本式の麻雀についていえば,僕はルールは分かります。しかし自分で打つということはしません。ただし動画を視聴することはあります。麻雀の打ち方について何かを云々するわけではなく,あくまでも哲学的な考察をしますので,この程度の知識があれば十分だと思います。考察を進めていく中で,どうしても麻雀のルールについて触れなければならない場面が生じてきますが,そのときには僕が簡単に説明することにします。
                                   
 まず最初に,近藤誠一という人物がどういうキャリアを積んできたのか,いい換えればどういう人生を送ってきたのかということについて,理解しておかなければならない部分があります。その中に,哲学的考察にとって重要な部分がいくらか含まれているからです。
 近藤は1963年に兵庫県で産まれました。実家は私塾を経営していて,父が講師として教えていました。自身は数学者を目指していたようですが,静岡大学の工学部に進み,一時的に会社員となりましたが,そこは辞して大手の塾の講師になりました。その後に父の依頼で実家に戻って跡を継いで塾を経営したのですが,それからすぐに麻雀のプロになっています。
 まずこの経歴から理解できるように,近藤というのは基本的に理系の人間です。ですから哲学にはまるで関心などをもっていないでしょうし,スピノザという哲学者の名前も知らないであろうと思います。著書の内容も,数学の合論理性に基づく論理的な,あるいは科学的な説明によって近藤のいう直感,スピノザの哲学でいうところの直観scientia intuitivaという第三種の認識cognitio tertii generisについて語っています。おそらく哲学的な裏付けには近藤は何の興味ももっていないでしょうし,それを必要ともしていないと思われます。これはちょうどフロイトSigmund Freudが,精神分析学を構築するにあたって,哲学的な裏付けは不要であると考えていたのと同じことです。ですから僕は近藤がいっていることについて哲学的な考察をしますが,それは近藤の著書を補完しようという目的をもったものではありません。むしろ近藤の著書を利用して,スピノザの哲学とは,とくに第三種の認識というのはこのようなものであるということを説明することが目的です。
コメント
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