昨晩の第17回レディスプレリュード。
サラーブとチェリーシャクナゲの2頭が好発。外の方からアッキー,マドラスチェック,プリンシアコメータの3頭が上がっていき,この順で3番手までを占めました。4番手にチェリーシャクナゲとレーヌブランシュで6番手にサラーブ。7番手はアンバラージュとマルシュロレーヌ。9番手はマルカンセンサー。10番手にレガロデルソル,シネマソングス,ゼットパッションの3頭でここまでの12頭は一団。2馬身差でナムラメルシー。2馬身差でサンルイビル。15番手がナンヨーオボロヅキで最後尾にクオリティスタート。最初の800mは50秒4のスローペース。
3コーナーでは前の3頭が雁行に。4番手にはレーヌブランシュとマルシュロレーヌという隊列に。直線でマドラスチェックはアッキーには合わせずやや外に。プリンシアコメータも開いたところは突かずに外に。アッキーは一杯になり,プリンシアコメータの外からマルシュロレーヌが伸びてきました。競り合いかと思われましたがマルシュロレーヌの差し脚が抜群で,前の2頭を差すと差を広げていって快勝。2番手のマドラスチェックと3番手のプリンシアコメータの差も徐々に広がる形となり,マドラスチェックが3馬身差で2着。プリンシアコメータが2馬身半差で3着。
優勝したマルシュロレーヌはここが重賞初挑戦での勝利。デビューから一貫してマイルから中距離の芝を走って2勝。前々走で2着になった後,初めてのダート戦を選択すると,最後の600mをほかの馬に1秒以上の差をつける末脚を発揮して3勝目。ここは実績上位はプリンシアコメータでしたが,この馬は歴代のトップクラスとは差がある馬ですから,牡馬相手に初ダートの3勝クラスを勝ったこの馬にも大いにチャンスがあると思われたところ。スローペースでの3馬身差はきわめて大きな差ということができますので,この馬は牝馬のダート路線でトップに立てる馬かもしれません。父はオルフェーヴル。祖母は1997年に報知杯4歳牝馬特別と桜花賞とローズステークス,1999年に阪急杯,2000年に京都金杯を勝ったキョウエイマーチ。Marche Lorraineはフランスのルイ・ガンスが作曲した行進曲。
騎乗した川田将雅騎手と管理している矢作芳人調教師はレディスプレリュード初勝利。
ここまではXの観念ideaとXの観念の観念idea ideaeが同一個体であるという関係から考察してきました。今度はXが形相的有esse formaleすなわち知性intellectusの外に実在するものとして,XとXの観念は同一個体であるという観点から考察します。
第二部定理七系から,Xがどのような形相的有であったとしても,その観念が存在しなければなりません。そしてその観念は,無限知性の一部を構成していると考えるべきです。このことは第二部定理一一系から明白だといえます。ところで,第一部定義六から,神Deumの属性attributisは無限に多くinfinitisあるのであって,その無限に多くのどの属性を抽出したとしても,このことは妥当するといわなければなりません。一方で第二部公理五から,人間が認識するcognoscereことができる様態modiは,思惟の様態cogitandi modiのほかには物体corpusすなわち延長Extensioの様態だけですから,これでみれば無限知性intellectus infinitusを構成する観念の中には,人間が認識することができないものの観念が含まれていることになります。だとすれば,人間が無限知性を十全に認識することができるというのは,直ちに不条理であるといわなければならないでしょう。
このことはおそらく次の説明からより容易に理解できるのではないかと思います。神の本性essentiaが無限に多くの属性から構成されるのである以上,その本性のすべてを人間は認識することができない,いい換えれば人間には認識することができない属性が存在するということは,たとえ人間が思惟の属性と延長の属性だけしか認識できないとしても,確実だということができます。そこでたとえばそういう属性のひとつとして,Aという属性があったとしましょう。このとき,Aの属性の直接無限様態が何であるかとか,Aの属性の間接無限様態が何であるかということは,そもそもAの属性を認識することが人間には不可能なのですから,それを人間が知る術はないというほかありません。このことはそれ自体で明らかだといっていいと思います。これと同じ意味において,思惟の属性の直接無限様態である無限知性についても,それが何であるかということは人間には知る術がないということがいえるのでなければならないことになるのです。なのでそれができるという主張は不条理なのです。
サラーブとチェリーシャクナゲの2頭が好発。外の方からアッキー,マドラスチェック,プリンシアコメータの3頭が上がっていき,この順で3番手までを占めました。4番手にチェリーシャクナゲとレーヌブランシュで6番手にサラーブ。7番手はアンバラージュとマルシュロレーヌ。9番手はマルカンセンサー。10番手にレガロデルソル,シネマソングス,ゼットパッションの3頭でここまでの12頭は一団。2馬身差でナムラメルシー。2馬身差でサンルイビル。15番手がナンヨーオボロヅキで最後尾にクオリティスタート。最初の800mは50秒4のスローペース。
3コーナーでは前の3頭が雁行に。4番手にはレーヌブランシュとマルシュロレーヌという隊列に。直線でマドラスチェックはアッキーには合わせずやや外に。プリンシアコメータも開いたところは突かずに外に。アッキーは一杯になり,プリンシアコメータの外からマルシュロレーヌが伸びてきました。競り合いかと思われましたがマルシュロレーヌの差し脚が抜群で,前の2頭を差すと差を広げていって快勝。2番手のマドラスチェックと3番手のプリンシアコメータの差も徐々に広がる形となり,マドラスチェックが3馬身差で2着。プリンシアコメータが2馬身半差で3着。
優勝したマルシュロレーヌはここが重賞初挑戦での勝利。デビューから一貫してマイルから中距離の芝を走って2勝。前々走で2着になった後,初めてのダート戦を選択すると,最後の600mをほかの馬に1秒以上の差をつける末脚を発揮して3勝目。ここは実績上位はプリンシアコメータでしたが,この馬は歴代のトップクラスとは差がある馬ですから,牡馬相手に初ダートの3勝クラスを勝ったこの馬にも大いにチャンスがあると思われたところ。スローペースでの3馬身差はきわめて大きな差ということができますので,この馬は牝馬のダート路線でトップに立てる馬かもしれません。父はオルフェーヴル。祖母は1997年に報知杯4歳牝馬特別と桜花賞とローズステークス,1999年に阪急杯,2000年に京都金杯を勝ったキョウエイマーチ。Marche Lorraineはフランスのルイ・ガンスが作曲した行進曲。
騎乗した川田将雅騎手と管理している矢作芳人調教師はレディスプレリュード初勝利。
ここまではXの観念ideaとXの観念の観念idea ideaeが同一個体であるという関係から考察してきました。今度はXが形相的有esse formaleすなわち知性intellectusの外に実在するものとして,XとXの観念は同一個体であるという観点から考察します。
第二部定理七系から,Xがどのような形相的有であったとしても,その観念が存在しなければなりません。そしてその観念は,無限知性の一部を構成していると考えるべきです。このことは第二部定理一一系から明白だといえます。ところで,第一部定義六から,神Deumの属性attributisは無限に多くinfinitisあるのであって,その無限に多くのどの属性を抽出したとしても,このことは妥当するといわなければなりません。一方で第二部公理五から,人間が認識するcognoscereことができる様態modiは,思惟の様態cogitandi modiのほかには物体corpusすなわち延長Extensioの様態だけですから,これでみれば無限知性intellectus infinitusを構成する観念の中には,人間が認識することができないものの観念が含まれていることになります。だとすれば,人間が無限知性を十全に認識することができるというのは,直ちに不条理であるといわなければならないでしょう。
このことはおそらく次の説明からより容易に理解できるのではないかと思います。神の本性essentiaが無限に多くの属性から構成されるのである以上,その本性のすべてを人間は認識することができない,いい換えれば人間には認識することができない属性が存在するということは,たとえ人間が思惟の属性と延長の属性だけしか認識できないとしても,確実だということができます。そこでたとえばそういう属性のひとつとして,Aという属性があったとしましょう。このとき,Aの属性の直接無限様態が何であるかとか,Aの属性の間接無限様態が何であるかということは,そもそもAの属性を認識することが人間には不可能なのですから,それを人間が知る術はないというほかありません。このことはそれ自体で明らかだといっていいと思います。これと同じ意味において,思惟の属性の直接無限様態である無限知性についても,それが何であるかということは人間には知る術がないということがいえるのでなければならないことになるのです。なのでそれができるという主張は不条理なのです。