スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

キョウエイマーチ&回復

2020-10-26 19:05:29 | 名馬
 8日のレディスプレリュードを勝ったマルシュロレーヌの祖母はキョウエイマーチです。
 2歳11月にデビュー戦を勝利。暮れの特別戦を3着になった後,年明けの特別戦で2勝目。さらにオープンを勝って報知杯4歳牝馬特別で重賞初制覇。さらに桜花賞も2番手から抜け出し4馬身差の快勝。大レースを制覇しました。オークスは距離が長く11着に大敗。
 秋初戦のローズステークスで重賞3勝目。秋華賞は2着。距離適性からマイルチャンピオンシップに出走。逃げて一旦は突き放したのですがタイキシャトルに差し切られて2着。スプリンターズステークスはタイキシャトルの11着と大敗でした。
 4歳初戦のマイラーズカップは3着。シルクロードステークスでシーキングザパールの11着と大敗し,このシーズンはこれでキャンペーンを終了。
 秋はスワンステークスが6着。マイルチャンピオンシップもタイキシャトルの6着。阪神牝馬特別は4着でした。
 5歳初戦はフェブラリーステークス。これはメイセイオペラの5着。マイラーズカップで2着になった後,阪急杯で久々の勝利をあげ重賞4勝目。高松宮記念は4着で安田記念は9着でした。
 秋の初戦は南部杯で2着。マイルチャンピオンシップは5着でスプリンターズステークスはブラックホークの13着。
 年明けの京都金杯で重賞5勝目。フェブラリーステークスはウイングアローの11着。黒船賞は3着,マイラーズカップで6着となり競走生活を退きました。
 産駒のトライアンフマーチは皐月賞トライアルのオープンを2着になって出走した皐月賞で2着。その後も重賞2着が4回もあったのですが,重賞には手が届きませんでした。子孫から初めて出た重賞の勝ち馬がマルシュロレーヌ。キョウエイマーチは4頭の産駒しかなく,そのうち牝馬はマルシュロレーヌの母の1頭だけ。この一族のみが牝系を伸ばしていくことになります。

 12月31日,火曜日。妹は午後1時に起きてきました。この日は午前中に僕が買い物に出掛け,弁当を購入しておきました。それでその弁当を出したのですが,おかずは完食したもののご飯は半分ほどしか食べられず,残しました。そして食べた後でまたベッドに入りました。ベッドに入ったといっても横になっているだけで,眠っているわけではありません。おやつにまたアイスクリームを食べました。
 この日は大晦日だったこともあり,叔父はどこにも出掛けず,ずっと家にいました。それで夕食にカレーライスを作ってくれるとのことでしたので,頼みました。事前に言われていれば午前中の買い物のときに食材を買っておいたのですが,これを言われたのが昼食の後だったので,カレーライスのための十分な食材はありませんでした。これについても叔父が午後に自身で買い物に行きました。このカレーライスは妹も完食しました。また,これは例年のことですが,妹は大みそかには蕎麦を食べたがります。年越し蕎麦という風習があるということは知っているからです。なので夜食に蕎麦を出しましたが,これも食べました。もっとも僕は食餌療法の関係でおやつと同様に夜食も摂りません。この蕎麦というのは自宅で茹でたものではなく,インスタントのカップ麺です。
 1月1日,水曜日。この日も妹は昼に起きました。僕は正月だからといって特別なことをしたりはしませんが,雑煮は作りました。妹はこれを食べました。また,前日に叔父がカレーライスの食材を買い出しに行ったときに,出来合いのお節料理をいくらか買ってきてくれたのですが,これも食べました。夕食も完食し,その後,元気なときと同様に就寝する時間までベッドに入らず,リビングで過ごしました。妹の健康状態はこの日になって完全に回復したといっていいでしょう。
 1月4日,土曜日。事前の予定の通り,叔父はこの日に福江島に帰りました。
 叔父の来訪は,従妹の具合が悪いためでした。ですから滞在の期間中,叔父は何度か従妹,叔父からみれば娘に会いに行っています。実はこのとき従妹は自宅にいたのではなく,入院していました。築地にある聖路加国際病院です。
コメント
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