スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

おまえの家③&アルチュセールとゲルー

2020-03-28 19:06:25 | 歌・小説
 では,歌い手であるあたしと訪ねたあなたのふたりとも黙ってガス台の火を見つめていました。そしてお前の方が,何を飲むのかと尋ねてきたのです。そしてその後で,あたしの方からおまえに話し掛けます。

                                   

     ねえ 昔よく聴いた あいつの新しいレコードがと
     わざと 明るく きり出したとき おまえの涙をみる


 で,歌い手はおまえが聞いていた音楽がどういう音楽であるのかを知っていたことが分かっています。そしてその音楽は,おそらく歌い手自身が好んで聞いていた音楽だったのです。そしてそれは「あいつ」の音楽です。その「あいつ」の新曲が発売されたのです。この歌が歌われた時代のレコードは,文字通りのレコードでしょう。
 あたしはこのことをわざと明るく切り出したと歌っています。これはふたりが黙り込んだ雰囲気を打破するためでしょう。と当時に,この話題ならばおまえも明るく返してくれると想定していたのだと思います。ところがその思いに反して,おまえは涙を流しました。

     ギターはやめたんだ 食っていけないもんなと
     それきり 火を見ている


 おまえはミュージシャンを目指していました。そのことをあたしも知っていました。しかしお前はすでに挫折していて,そのことをあたしは知りませんでした。①と②で歌われていたおまえの変化の根底は,ここにあったということです。

 僕がどういったことを政治的というのかということはある程度は分かってもらえたと思います。ここからは僕がどのようなことを党派的というのかということをじっくりと説明していきましょう。
 高等師範学校の哲学教師のひとりに,アルチュセールがいました。このアルチュセールはフランス共産党の党員でした。
 アルチュセールはスピノザ主義者というよりマルクス主義者という側面の方が強いので,アルチュセールがそういう選択をしたのは,アルチュセールのうちのスピノザ主義がそうさせたというより,マルクス主義者としてのアルチュセールがそういう選択をしたという意味合いの方が強いと思われます。ただいずれにしても,特定の政党に入党しているのですから,これを政治的な行為でないということは僕にはできません。一方,その理由がどうあれ,アルチュセールがフランス共産党の党員であったから,アルチュセールは党派的な人物であったとは僕はいいません。このことはすでに僕が何を政治的といいまた何を党派的というのかということを簡潔に説明したときにいっておいたことです。それがどんな政党であったとしても,ある特定の政党に入党するという行為を,僕は政治的とはいいますが,党派的とはいわないのです。
 同時代人にゲルーMartial Gueroultがいます。思想家としてなら別ですが,スピノザ哲学の研究者としていえば,アルチュセールより有名な人物ですし,スピノザの哲学の解明に果たした役割もアルチュセールより上だといっていいでしょう。『〈内在の哲学〉へ』では,ゲルーは自分の立場,とくに宗教的な立場と政治的な立場を,スピノザの哲学によって基礎づけようとしなかったとされています。そしてこうしたことが,この時代のフランスのスピノザ主義者たちを一枚岩とさせなかったという主旨のこともいわれています。なお,ここでいうスピノザ主義者というのは,文字通りにスピノザの哲学を信奉する人というより,現象学や実存主義に反感を持つ人たちのこと,そのためにスピノザの哲学を利用した人たちのことという,やや軽い意味で理解しておいてください。この目的は『主体の論理・概念の倫理』の考察でもいった通りです。
コメント
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