スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

ウィナーズカップ&ゲルー

2020-03-30 19:28:38 | 競輪
 福井競輪場で争われた昨日の第4回ウィナーズカップの決勝。並びは高橋‐守沢の北日本,清水‐松浦‐柏野の中国で和田と吉田と古性と原田は単騎。
 守沢がスタートを取って高橋の前受け。最初は3番手に清水がいましたが,外から上がってきた和田に譲り,3番手に和田,4番手に清水。7番手に吉田,8番手に古性,最後尾に原田で周回。まるで動きがないまま残り2周を通過。バックから清水が動き,高橋を叩いて打鐘。4番手には吉田,5番手に古性。引いた高橋が6番手でこのライを追走した和田が8番手。最後尾に原田という一列棒状になりました。バックに入ると松浦が清水との車間を開けて後方を警戒。捲ってきたのは高橋。松浦は3コーナーから番手発進。高橋はよく追い詰めましたが松浦が粘り切って優勝。高橋マークの守沢が外から4分の1車輪差の2着。高橋は8分の1車輪差の3着。
 優勝した広島の松浦悠士選手は2月の高松記念以来の優勝。ビッグは昨年の競輪祭以来の2勝目。このレースは清水と松浦の脚力が上位。そしてそのふたりが連携しましたから圧倒的に有利。単騎の選手が多くいましたので,もつれることもあり得るかと思っていましたが,予想に反して単調なレースになりました。こうなれば番手から出られる松浦が優勝するのが当然。むしろ意外なほどに差を詰められてしまったという印象です。こういうレース内容になってしまったのは単騎の選手たちが無策であったからで,何もできないのならなぜ単騎での競走を選択するのか疑問に感じます。

 アルチュセールLouis Pierre AlthusserからノンポリとみられたゲルーMartial Gueroultは,哲学者というよりは哲学史家です。つまり自身が哲学者であるというよりは,哲学および哲学者の研究家といった方が正確です。アルチュセールは自身が哲学者かそうでなくとも思想家ですから,その点でそもそもアルチュセールとゲルーの間には立場上の相違があったとみておいた方がいいでしょう。
                                        
 アルチュセールとゲルーは同時代人であるといいました。確かに同じ時代を生きてはいますが,同世代というわけではありません。ゲルーは1912年には高等師範学校に生徒として入学しているのですが,アルチュセールはその時点ではまだ産まれていません。ふたりの間には27の年齢差があります。
 ゲルーは高等師範学校に入学した2年後に,兵役に服しました。これは第一次世界大戦の時代です。戦闘で銃弾を受けて負傷し,ドイツ軍の捕虜となったのですが,終戦後に解放され,1919年に復学しました。卒業後は哲学の教員となり,1945年に大学教授となりました。これはソルボンヌ大学です。そして1951年にコレージュ・ド・フランスという,フランスの国立の特別教育機関で教授を務めるようになりました。ここで1962年まで仕事をしています。同じ頃にここで教授を務めていた人物としてはメルロ=ポンティMaurice Melaeu-pontyがいます。またフーコーは1970年からここで教授を務めていますので,同じ時期に在籍はしていないのですが,その哲学史研究の影響,とくに方法論的な影響を受けています。ゲルーの影響を受けている思想家としては,フーコーのほかにドゥルーズGille Deleuzeも同様です。
 ゲルーは哲学史家なので,スピノザの哲学だけを特別に研究したわけではありません。アルチュセールがゲルーのスピノザ以外の哲学者の研究についてどういった感想を抱いていたのかということはよく分かりませんが,おそらくどの哲学者を研究するにあたってもゲルーの方法は同じだった筈でしょうから,そうした研究もアルチュセールからみればノンポリに映ったのではないかと思われます。ただそうしたアルチュセールの感想も,僕は政治的であるとはみなしますが,それだけで党派的であったとはいいません。
コメント
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