スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

NHK杯テレビ将棋トーナメント&意識の哲学

2020-03-24 19:17:57 | 将棋
 22日に放映された第69回NHK杯テレビ将棋トーナメントの決勝。収録は2月17日。その時点での対戦成績は深浦康市九段が3勝,稲葉陽八段が4勝。
 振駒で深浦九段が先手となり,矢倉を目指しましたが,後手の稲葉八段が居玉のまま中央に戦力を集中させて仕掛けていくという相居飛車の乱戦に。
                                        
 先手が中央の逆襲を目指して2八の飛車をぶつけた局面。☖同飛成☗同金と進めば後手が先に飛車を打てるので大胆な一手に思えますが,飛車で王手されてより困るのは歩がない後手であるのも事実。ということでここは☖5三銀として交換を避けました。
 先手は☗3七桂と跳ねて戦力を足しにいきました。後手は☖9四歩☗8四角としておいて☖4二銀と,今度は自分から飛車交換を挑みにいきました。
                                        
 第1図と第2図を比べると,飛車を交換したときの状況に大きな差があるわけではありません。ということは第2図で銀を引いたのは予定変更だったのではないかと思います。こうなるなら第1図で自分から交換してしまった方がよかったのではないでしょうか。
 先手はすぐに交換せず☗4五桂と跳ねました。後手はここでも☖5八飛成とできましたがそうせず☖4四歩。これは開き直った手のように思えます。先手は☗5二飛成☖同玉☗7四歩☖同銀として☗8二飛と打ちました。
                                        
 第3図まで進んでしまうと後手は収拾困難で大差になっています。結果的に第1図で思い切って飛車をぶつけていったのが先手に勝利を呼び込むこととなりました。
 深浦九段が優勝。2015年の銀河戦以来となる9回目の棋戦優勝で,NHK杯は初優勝となりました。

 近藤は内在の哲学の意義については,意識の哲学と対立させる形で説明しています。すなわち「人新世」のプロセスを構成するよっつのシステムの根底には意識の哲学があって,それを克服するためには意識の哲学と対抗する内在の哲学が必要であるという主旨です。ですから僕のように,内在の哲学を超越論的哲学との対立軸で解することについては,『〈内在の哲学〉へ』では触れられているわけではありません。ただ,第一部定理一八で,Deusは万物の内在的原因causa immanensであることを示すときに,スピノザがわざわざ超越的原因causa transiensではなく内在的原因であるといっているように,一般的に内在と対立するのは哲学の世界では超越なのであって,したがって内在の哲学に対立するのは超越論的哲学であるということになります。
 近藤が示したよっつのシステムと超越論哲学との間に何らかの連関があるかどうかは僕には分かりません。ただ,スピノザの哲学の内在の意味,具体的にいえば人間が自然Naturaを超越することは不可能であるということの意味は,単に人間が所産的自然Natura Naturataとして能産的自然Natura Naturansのうちに内在するということだけでなく,所産的自然の一部として所産的自然の全体をすら超越することができないという点にもあるということを踏まえれば,そのことを肯定する内在の哲学に対して,よっつのシステムの根底に何らかの超越論的な思想が存在しているという可能性は否定できないと僕は思います。
 たとえば,科学技術によって人類は自然を統御することができるというような考え方があるとすれば,それは内在の哲学に反する考え方になります。これは第四部定理四に明確に反するからです。人類が人類以外の自然,所産的自然を原因causaとした変化を受けないということは不可能であるからです。同じように,資本は無限に拡大していくというような考え方があるのなら,それもやはり内在の哲学には反することになります。第二部定理一〇系は人間の本性essentiaは有限finitumであるといっているのと同じことだからです。
 近藤がこうした考え方に同意するかは分かりません。ただその主張を補強する材料にはなり得ると思います。
 近藤の関心事についてはここまでとし,次の考察に移ります。
コメント
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