小松島記念の決勝。並びは天田‐牛山の関東,三谷‐村上の近畿,太田‐小倉の徳島,山田に守沢で野田は単騎。
天田がスタートを取って前受け。3番手に太田,5番手に三谷,7番手に野田,8番手に山田で周回。残り3周のバックから山田がゆっくりと上昇。守沢の後ろに三谷が続き,野田もこのラインを追いました。ホームの入口でまず山田が天田の前に。さらにホームで三谷が山田の前に出て誘導の後ろに。三谷‐村上‐野田‐山田‐守沢‐天田‐牛山‐太田‐小倉の一列棒状になると三谷が打鐘まで誘導を使い,そのまま先行。バックで先に動いたのが山田。車間を開けていた村上が対応しようとするとその内に進路を取ったのが野田。さらに後ろから天田も捲ってきて直線。粘る三谷,村上との間を割った野田,三谷マークの村上,山田の後ろから村上の外を伸びた守沢,天田マークからさらに外を伸びた牛山の5選手はさほど差がなくフィニッシュ。優勝は大外の牛山。8分の1車輪差の2着は写真判定となり村上。守沢が微差の3着で三谷が半車輪差で4着。野田が4分の3車輪差で5着。
優勝した茨城の牛山貴広選手は昨年6月の富山記念以来となる記念競輪2勝目。このレースは力では三谷ですが,打鐘まで誘導を使えたとはいえ得意とはいえない先行に。これは太田が強敵とみて,太田に自由には走らせないという作戦だったのだろうと思います。結果的に太田は経験不足を露呈するような形で後方に置かれて不発。展開的には村上が有利でしたが,山田マークではなく単騎を選択した野田が,まるで三谷の先行を予想していたかのように近畿ラインを追走し,最終コーナーで村上に内から絡んでいったため,村上の伸び脚に影響が出ましたし,展開にももつれが生じました。突っ込んできたのが守沢,牛山という,自力ではなくマーク選手だったというのは,逃げた三谷がそれだけ強かったということだと思います。
入院は手術のためでした。ですから主治医は消化器外科の執刀医で,回診に来たのもその先生です。そして消化器外科での治療は明日の退院をもって終了することが同時に告げられたとのことです。これ以降は抗癌剤を用いての延命治療になるわけですが,それについて具体的にどのような治療をするのかということについては,消化器内科の主治医と相談して決定するようにいわれたようです。介護保険の認定に関しても,消化器内科の主治医の診断書が必要とのことで,相談するならそちらの主治医に対してでなければならず,よってこの段階では何も着手できませんでした。
10月9日,日曜日。退院の日です。10時ということでしたから,それに間に合うようにみなと赤十字病院に行きました。退院当日は諸々の手続きがあるのですが,この日は看護師が病室にやってきて,ちょっとしたやり取りがあっただけでした。前日にいわれていた通り,入院費の支払いはしないで帰りました。タクシーを使いましたが,7階の病室からタクシー乗り場まで,母は僕につかまりながら歩きました。
僕の家は母の母を引き取った関係でリフォームしましたが,かつて和室だった1階はフローリングになっています。ただ,そこに掘り炬燵をしつらえましたので,椅子にテーブルという生活ではありません。よってテーブルに向って座布団の上に座るという形になるのですが,母はもっと楽に座りたいということで,座椅子を所望しました。これはこの日のうちにAmazonで注文しました。この,椅子にテーブルではなくフローリングに座布団という形式での生活が,後に母を苦労させることになります。一概にはいえませんが,老後を見据えて家を設計するのであれば,たぶん椅子にテーブルというのを生活の中心に据えた方がよいのではないかと今の僕は思っています。
10月11日,水曜日。退院してまだ2日ですが,消化器内科の通院の日でした。これが午前9時からで,僕が母に同行しました。入院した日も含め,これまではずっとバスで行っていたのですが,この日からはタクシーを使うようになりました。これ以降,母が病院に行く場合は必ずタクシーです。
天田がスタートを取って前受け。3番手に太田,5番手に三谷,7番手に野田,8番手に山田で周回。残り3周のバックから山田がゆっくりと上昇。守沢の後ろに三谷が続き,野田もこのラインを追いました。ホームの入口でまず山田が天田の前に。さらにホームで三谷が山田の前に出て誘導の後ろに。三谷‐村上‐野田‐山田‐守沢‐天田‐牛山‐太田‐小倉の一列棒状になると三谷が打鐘まで誘導を使い,そのまま先行。バックで先に動いたのが山田。車間を開けていた村上が対応しようとするとその内に進路を取ったのが野田。さらに後ろから天田も捲ってきて直線。粘る三谷,村上との間を割った野田,三谷マークの村上,山田の後ろから村上の外を伸びた守沢,天田マークからさらに外を伸びた牛山の5選手はさほど差がなくフィニッシュ。優勝は大外の牛山。8分の1車輪差の2着は写真判定となり村上。守沢が微差の3着で三谷が半車輪差で4着。野田が4分の3車輪差で5着。
優勝した茨城の牛山貴広選手は昨年6月の富山記念以来となる記念競輪2勝目。このレースは力では三谷ですが,打鐘まで誘導を使えたとはいえ得意とはいえない先行に。これは太田が強敵とみて,太田に自由には走らせないという作戦だったのだろうと思います。結果的に太田は経験不足を露呈するような形で後方に置かれて不発。展開的には村上が有利でしたが,山田マークではなく単騎を選択した野田が,まるで三谷の先行を予想していたかのように近畿ラインを追走し,最終コーナーで村上に内から絡んでいったため,村上の伸び脚に影響が出ましたし,展開にももつれが生じました。突っ込んできたのが守沢,牛山という,自力ではなくマーク選手だったというのは,逃げた三谷がそれだけ強かったということだと思います。
入院は手術のためでした。ですから主治医は消化器外科の執刀医で,回診に来たのもその先生です。そして消化器外科での治療は明日の退院をもって終了することが同時に告げられたとのことです。これ以降は抗癌剤を用いての延命治療になるわけですが,それについて具体的にどのような治療をするのかということについては,消化器内科の主治医と相談して決定するようにいわれたようです。介護保険の認定に関しても,消化器内科の主治医の診断書が必要とのことで,相談するならそちらの主治医に対してでなければならず,よってこの段階では何も着手できませんでした。
10月9日,日曜日。退院の日です。10時ということでしたから,それに間に合うようにみなと赤十字病院に行きました。退院当日は諸々の手続きがあるのですが,この日は看護師が病室にやってきて,ちょっとしたやり取りがあっただけでした。前日にいわれていた通り,入院費の支払いはしないで帰りました。タクシーを使いましたが,7階の病室からタクシー乗り場まで,母は僕につかまりながら歩きました。
僕の家は母の母を引き取った関係でリフォームしましたが,かつて和室だった1階はフローリングになっています。ただ,そこに掘り炬燵をしつらえましたので,椅子にテーブルという生活ではありません。よってテーブルに向って座布団の上に座るという形になるのですが,母はもっと楽に座りたいということで,座椅子を所望しました。これはこの日のうちにAmazonで注文しました。この,椅子にテーブルではなくフローリングに座布団という形式での生活が,後に母を苦労させることになります。一概にはいえませんが,老後を見据えて家を設計するのであれば,たぶん椅子にテーブルというのを生活の中心に据えた方がよいのではないかと今の僕は思っています。
10月11日,水曜日。退院してまだ2日ですが,消化器内科の通院の日でした。これが午前9時からで,僕が母に同行しました。入院した日も含め,これまではずっとバスで行っていたのですが,この日からはタクシーを使うようになりました。これ以降,母が病院に行く場合は必ずタクシーです。