スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

南三条⑤&手術終了

2018-07-02 19:10:45 | 歌・小説
 南三条④でこの楽曲は二番が終了です。そして三番の冒頭で,声を掛けた方の女が男を呼び寄せます。で歌われていたように,声を掛けた方の女は赤ん坊をおんぶしていました。呼んだのはその赤ん坊の父親,すなわち声を掛けた女の夫です。その夫がかつて目の前にいる女と付き合っていたことをこの女は知りません。緊迫の場面といっていいでしょう。
                                     
 歌詞の関係で聞き手はここまでの緊迫感を味わうことはできないようになっています。しかし声を掛けられた女に,一瞬の緊張が訪れたことは疑い得ないでしょう。そしてその緊張は思わぬ形で崩れるのです。

      この人なのよと呼び寄せた男に心当たりはなく
      そんなはずはない あの人と幸せになったはず


 目の前に現れた男は女が予期していたのとは異なった男でした。女は予期していた男との別れの辛さを乗り越えるために,本当は自分から男を奪ったわけではない目の前の女のことを憎み続けていたのです。それがすべて覆されることが生じたのですから女はさぞかし驚いたことでしょう。赤ん坊を背負った女はその女の戸惑いに気付きました。そして女が困惑している理由も悟り,女に伝えます。

      戸惑う私に気づいて教える屈託のない声で
      あなたの知ってるあの人とは間もなく切れたわと


 屈託のない声と歌われているので,もしかしたら女は夫にも聞こえるくらいの声でそう言ったのかもしれません。このあたりはで歌われた女の無邪気さに相通ずるものがありそうです。

 僕は家から持参してきた朝日新聞を読んだり,読書をしたりしながら手術の終了を待ちました。僕にとっての母の件の始まりの日である8月23日に,僕は川崎に出掛けていて,そのときに読書をしていましたが,その後はまとまって読書をする時間はなく,これは久々の読書でした。このときに読んでいたのは『主体の論理・概念の倫理』という本です。その後もまとまって読書に充てられる時間というのが少なく,現時点でもこの本は読了できていません。「二〇世紀フランスのエピステモロジーとスピノザ主義」という副題の,スピノザと関連した書籍ですが,読み終えてから詳しいことを紹介します。時間の問題もあるのですが,内容が僕にとっては非常に難解で,それもこの本をなかなか読み終えることができない理由のひとつになっています。
 手術の終了を僕に告げにきたのは7階の事務の担当者でした。その人に案内されて3階に移動し,まず手術室の近辺にある小部屋に入りました。ここで執刀医による話がまずあったのです。大腸癌を切除する手術は上首尾に終ったことと,もともと切除する予定であった部分と別に,もう1箇所も開腹したら癌であるとみられたので,切除したということを告げられました。実際に切除した部分も見せてもらったのですが,僕が見た限りでは,切除予定であった部分より,開いてみて切除を決断した部分の方が大きかったです。これで腸閉塞を発症して死んでしまうというおそれは消滅しました。
 母は僕が入った小部屋とは反対側にあるHCUに運ばれ,もう面会が可能な筈であるといわれました。HCUは僕が救急搬送されて入院したときに,最初に入れられた病室です。僕はそこからすぐに一般病棟に移動しましたが,HCUはベッド内から移動できない病室なので,一般病棟への移動もベッドを使ってのものでした。ですから僕は自分が入院した部屋であるにもかかわらず,みなと赤十字病院のHCUがどこにあるのかよく分かっていなかったのですが,このときに初めてその位置関係を知ることができました。僕の入院中も他の患者の入退室がありましたが,救急患者だけでなく手術後の患者もおそらくいたのでしょう。
コメント
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