16日に松戸競輪場で争われた第14回サマーナイトフェスティバルの決勝。並びは菅田‐渡辺の北日本,平原に中村,深谷‐竹内‐浅井の中部で古性と松浦は単騎。
浅井がスタートを取って深谷の前受け。4番手に菅田,6番手に平原,8番手に松浦,最後尾に古性で周回。残り4周の3コーナーから平原が上昇。松浦と古性も続きました。ホームに入って平原が深谷を叩くと深谷はすぐに引いて平原は誘導の後ろに。古性の後ろの5番手に菅田が入り,深谷が7番手の一列棒状に。深谷はバックから外に持ち出し,山おろしをかけるように残り2周のホームから発進。平原は合わせていき,打鐘で竹内のところに飛びつきました。ちょうどコーナーに差し掛かるところでインの平原が番手を奪取。残り1周のホームにに入ると菅田が発進。平原のブロックは凌いだものの深谷の前までは出られず。しかしバックに入ってから自力で出ていた渡辺は深谷を捲って優勝。2周の先行になりましたがよく粘った深谷が1車身差で2着。渡辺の後ろにスイッチした松浦が8分の1車輪差で3着。
優勝した福島の渡辺一成選手は昨年10月の寛仁親王牌以来の優勝でビッグ5勝目。サマーナイトフェスティバルは初優勝。このレースは深谷の先行が有力で,スムーズなレースになれば中部勢から優勝者が出るだろうと思われました。ただ,深谷が前で番手が竹内,3番手に浅井という並びになりましたので,竹内の位置に平原か古性が斬り込むということは大いに考えられ,その場合には菅田が不発というケースは考えにくく,瞬発力は随一の渡辺の優勝はあり得るとみていました。このレースの深谷はかなり強い内容でしたから,これなら中部勢は浅井が番手の方がうまく対応できたのではないかと思います。平原の斬り込み方も巧みでした。
5階に向ったのは放射線治療を行う部屋,化学療法室があるからです。これは1クール目の退院の前日のオリエンテーションがあったときに説明しました。母はこの時点では飲み薬の服用を中止していましたし,どのような方法であれ抗癌剤による治療を再開するつもりはありませんでした。僕もそれを理解していました。ただ,この通院は前回の退院時に定められていたもので,そのときはまだ治療を断念する前でしたから,採血をしたら化学療法室で放射線治療を行うということになっていて,予約票にもそのような指示が記載してありました。なので僕たちはその指示に従ったのです。
化学療法室で僕たちを迎えたのは,オリエンテーションのときに僕たちを担当した看護師でした。まずこの看護師による問診がありましたが,飲み薬の服用を中止してもよいということは,10月27日に母を診察してくれた医師の許可を得てのものでしたから,母がそれを飲んでいないということは看護師にも伝わっていました。また,そのオリエンテーションのときには,単に治療のことだけでなく,延命治療中の生活に関する話もあったのですが,この日もそれは同様で,オリエンテーションからこの日までの生活の様子なども尋ねられ,母はそれにも答えました。たとえば妹がグループホームに入所することができそうだというようなことも伝えました。本来なら放射線治療を行うところですが,この日は行わずに中断するという話が最後に看護師からありました。看護師が中止とは言わずに中断と言ったのは,おそらく中止を最終的に決定するのは消化器内科の担当医なので,看護師の一存で中止すると言うわけにはいかなかったのだろうと推測します。
放射線治療は行わなかったので,僕たちはそのまま1階の消化器内科に向いました。この診察の予約は午前11時半になっていましたが,実際に診察が始まったのは12時15分くらいでした。
薬を飲むのをやめたことはもちろん医師も知っていました。ただ,前にいったかと思いますが,この医師は延命治療をすることを強く勧めるタイプの医師でした。とくに母がそれをしないのはもったいないと思っていたのです。
浅井がスタートを取って深谷の前受け。4番手に菅田,6番手に平原,8番手に松浦,最後尾に古性で周回。残り4周の3コーナーから平原が上昇。松浦と古性も続きました。ホームに入って平原が深谷を叩くと深谷はすぐに引いて平原は誘導の後ろに。古性の後ろの5番手に菅田が入り,深谷が7番手の一列棒状に。深谷はバックから外に持ち出し,山おろしをかけるように残り2周のホームから発進。平原は合わせていき,打鐘で竹内のところに飛びつきました。ちょうどコーナーに差し掛かるところでインの平原が番手を奪取。残り1周のホームにに入ると菅田が発進。平原のブロックは凌いだものの深谷の前までは出られず。しかしバックに入ってから自力で出ていた渡辺は深谷を捲って優勝。2周の先行になりましたがよく粘った深谷が1車身差で2着。渡辺の後ろにスイッチした松浦が8分の1車輪差で3着。
優勝した福島の渡辺一成選手は昨年10月の寛仁親王牌以来の優勝でビッグ5勝目。サマーナイトフェスティバルは初優勝。このレースは深谷の先行が有力で,スムーズなレースになれば中部勢から優勝者が出るだろうと思われました。ただ,深谷が前で番手が竹内,3番手に浅井という並びになりましたので,竹内の位置に平原か古性が斬り込むということは大いに考えられ,その場合には菅田が不発というケースは考えにくく,瞬発力は随一の渡辺の優勝はあり得るとみていました。このレースの深谷はかなり強い内容でしたから,これなら中部勢は浅井が番手の方がうまく対応できたのではないかと思います。平原の斬り込み方も巧みでした。
5階に向ったのは放射線治療を行う部屋,化学療法室があるからです。これは1クール目の退院の前日のオリエンテーションがあったときに説明しました。母はこの時点では飲み薬の服用を中止していましたし,どのような方法であれ抗癌剤による治療を再開するつもりはありませんでした。僕もそれを理解していました。ただ,この通院は前回の退院時に定められていたもので,そのときはまだ治療を断念する前でしたから,採血をしたら化学療法室で放射線治療を行うということになっていて,予約票にもそのような指示が記載してありました。なので僕たちはその指示に従ったのです。
化学療法室で僕たちを迎えたのは,オリエンテーションのときに僕たちを担当した看護師でした。まずこの看護師による問診がありましたが,飲み薬の服用を中止してもよいということは,10月27日に母を診察してくれた医師の許可を得てのものでしたから,母がそれを飲んでいないということは看護師にも伝わっていました。また,そのオリエンテーションのときには,単に治療のことだけでなく,延命治療中の生活に関する話もあったのですが,この日もそれは同様で,オリエンテーションからこの日までの生活の様子なども尋ねられ,母はそれにも答えました。たとえば妹がグループホームに入所することができそうだというようなことも伝えました。本来なら放射線治療を行うところですが,この日は行わずに中断するという話が最後に看護師からありました。看護師が中止とは言わずに中断と言ったのは,おそらく中止を最終的に決定するのは消化器内科の担当医なので,看護師の一存で中止すると言うわけにはいかなかったのだろうと推測します。
放射線治療は行わなかったので,僕たちはそのまま1階の消化器内科に向いました。この診察の予約は午前11時半になっていましたが,実際に診察が始まったのは12時15分くらいでした。
薬を飲むのをやめたことはもちろん医師も知っていました。ただ,前にいったかと思いますが,この医師は延命治療をすることを強く勧めるタイプの医師でした。とくに母がそれをしないのはもったいないと思っていたのです。