スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

霧島酒造杯女流王将戦&第一部定理二

2017-11-17 19:20:28 | 将棋
 11日に囲碁・将棋チャンネルで放映された第39期女流王将戦三番勝負第二局。対局日は10月19日。
 里見香奈女流王将の先手で双方の思惑が絡み合った末の序盤戦から力戦の相居飛車に。後手の伊藤沙恵女流二段が腰掛銀からの右四間飛車,先手は後手の銀冠に対して早繰り銀の形になりました。先手から仕掛けて一時的によくなったと思いますが,攻め急いだ上に緩手のような受けもあり,逆転を許すことに。
                                     
 後手が5七に歩を成り捨てたところ。ここは再び☖5六歩と打つ手も有力で,それを選んでいればかなり違った展開になっていたでしょう。実戦は☖7三桂と龍取りに跳ねて☗8三龍と進みました。これも使えていない桂馬を使うので悪くないのですが,その代償に先手の龍が攻めに使える余地が出てきて,これが最終的に後手のデメリットになってしまいました。
 この局面でも☖5六歩はあり,やはり違った展開となった筈ですが,桂馬を使いにいった以上は実戦の☖6五桂が自然だったと思います。
 この手は詰めろにはなっていません。なので手番は先手です。目につくのは☗4五角と詰めろに打ちつつ受けにも利かせる手で,先手がそう指していたら後手の次の一手も違ったものになりました。ですが実戦は☗4一銀とただ攻めるだけの詰めろを掛けました。
 ここで後手は☖6三金とただのところに引きました。9七に角が利くようになるのでこれは詰めろ逃れの詰めろです。先手の指し手が☗4五角だった場合,この手は詰めろ逃れですが詰めろではないので☗同龍で無効。なので違った展開だった筈なのです。
 この手の後で☗4五角が指されました。これも詰めろ逃れの詰めろ。☖7七桂成☗同桂のときに☖6七歩成☗同王☖6六銀のような手が成立すればいいのですが玉が逃げて届きません。結果的に後手は受けに回らざるを得なくなり,☖5四銀と打つことに。
                                     
 ですがこの手は一時凌ぎ。☗同角☖同金と進んで後手玉は即詰みでした、
 連勝で里見女流王将が防衛。第32期,33期,34期,37期,38期に続く三連覇で通算6期目の女流王将位です。

 様態的変状modificatioに様態化した神DeusをゲーテJohann Wolfgang von Goetheのいう原型とメタモルフォーゼにそのまま当て嵌めると,メタモルフォーゼした原型ということになるだろうと僕は思います。ただこのとき,神を原型とそのまま等置してしまうのは無理があると僕は考えています。なぜならこの考え方は,シラーとの会話の中であった象徴的植物と大いに関連しているのであって,原型あるいは原植物ともいわれている象徴的植物を神と解するのは無理があるだろうからです。
 大槻は前に紹介した部分において,ゲーテが理念を目で見ると言っていることは,精神の眼で見るという意味であるという主旨のことを主張したドロテーア・クーンの考え方に対して,それはその通りであるけれども,ゲーテにとっての自然科学とは,近代的な意味における純粋な経験による科学ではなく,自然の形而上学であったと補足していました。この考え方自体が,スピノザとロバート・ボイルRobert Boyleとの間で交わされた論争から類推するに,ゲーテはスピノザ寄りの立場であったということを窺わせるのですが,ここではそれが形而上学であったと大槻がいっている点に僕は着目したいです。スピノザの哲学においては神というのは,形而上学的存在でないとはいいませんが,どちらかといえば実在的な意味を大きく有します。それに対して,単に実体substantiaといわれるなら,これは形而上学的観点の方が優勢になります。なぜなら,たとえば第一部定理二では次のようにいわれるからです。
 「異なった属性を有する二つの実体は(Duae Substantiae diversa attributa habentes)相互に共通点を有しない」。
 この定理Propositioが実在的であるためには,少なくともふたつ以上の,複数の実体が実在するのでなければなりません。同じようなことは第一部定理四とか第一部定理五,第一部定理八などの,第一部の最初の方に出てくる諸定理に該当するものが多く含まれています。ところが論証Demonstratioが進んでいくとついに第一部定理一四で,実在する実体は神が唯一であるとされます。したがってそれらの諸定理は,実在的に何か意味をもっているわけではなく,あくまでも形而上学的な論証のためのものでしかなかったことが分かります。原型とは,このような意味での実体ではないでしょうか。
コメント
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