スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

北海道2歳優駿&母の異変

2010-11-04 20:34:01 | 地方競馬
 これもJRA勢と北海道勢の力の比較が困難となる第37回北海道2歳優駿
 はっきりと先手を主張する馬がなく,流れの中でダブルオーセブンの逃げになりました。ビッグロマンスは中団,エルヘイローは後方の位置取り。こうした展開ですからペースは遅かったです。
 このスローペースにしびれを切らしたように向正面で最後尾にいたエバーオンワードが外を一気に進出し,3コーナーでは先頭に。ただ,捲られる形になった馬も圏外に沈むということはなく,集団で4コーナーを回って直線へ。エバーオンワードが粘るところ,外から漸進してきたビッグロマンスが捕えて先頭。しかしこれを内からカネマサゴールドがうまく掬って優勝。ビッグロマンスが2着で3着にエバーオンワード。
 優勝したカネマサコンコルドは初戦2着の後3連勝。前走は中央のオープンに出走して4着。2戦目以外は短距離を使っていたのですが,むしろこれくらいの距離の方が向いていたのかもしれません。少なくとも,勝っても不思議ではない力はみせていた馬だと思います。父はフサイチコンコルド
 騎乗した北海道の宮崎光行騎手はこのレースが重賞になる以前,1994年の帯広のレースを勝っていて,北海道2歳優駿としては2勝目。管理している北海道の堂山芳則調教師は2004年以来の2勝目です。

 みなと赤十字病院の総合内科の通院日であった10月4日から始まる1週間は,改めて病院に行くことができませんでした。厳密にいいますと,初診を受け付けるのは午前中のみで,午前中だけならば時間が取れるという日はあったのです。ただ,みなと赤十字病院に電話したおり,かなり待つことになるかもしれないと言われましたので,できれば1日オフにできる日があれば,その日に行きたいと思っていました。失敗したとはいえ,実際に困ることになるのは11月下旬になってからでしたから,僕の方にもそんなに急がなければならないという気持ちも生じなかったのです。ところがこの後で,まったく予期していなかった事態が発生してしまいました。
 発端は10月8日の金曜のことです。この日,父の最期を僕や母と一緒に看取ったの最も下の姉,僕の伯母が午前中に訪ねてきて,父の墓参りに行くことになっていました。僕もこの日は午前中は大丈夫でしたので,母の運転で3人で墓参をすませました。僕はそれで家に戻り,母と伯母は別のところへ出掛けたのです。僕は午後から外出。それでも夕方5時前には帰宅しました。このときには母も,それから仕事に行っていた妹も家に戻っていて,母が夕食の支度をしました。支度はしたのですが,夕食の時間になると母は目眩がすると言い出し,それに手をつけられませんでした。昼は外で食べて,そのときは何でもなかったようなのですが,その後,車での帰路の途中で体調に異変を感じたようなのです。結局この日,母はそのまま何も食べずに寝てしまいました。
 母は,風邪などをひいて具合が悪くなると,何も食べずに眠り続けるということがこれまでもよくありました。だからこの時点ではそういうことなのだろうと僕も思っていまして,さほどの心配はしていませんでした。翌9日の土曜日も,1日中横になっていたのですが,それ自体もそんなにひどく心配するにはあたらないと思っていたのです。ところがこの日の夜になると,目眩だけでなく吐き気も訴えるようになり,実際に嘔吐するようになったのです。といっても,何も食べていませんから,吐き出すのは胃液のようなもののみです。そしてそれ以外には異常はない。つまり発熱などもしていないのです。さすがにこの時点で,僕もおかしいと思うようになりました。
コメント
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