8日に倉敷藤花戦三番勝負の第一局が指されました。棋譜がアップされたので紹介します。清水市代倉敷藤花に挑戦するのは斎田晴子女流四段。最近の女流将棋界は旧世代と新世代の対決が続いていましたが,ここは久々に旧世代同士の対戦となりました。清水倉敷藤花の先手で▲7六歩△5四歩▲2六歩△3四歩という出だし。後手の斎田四段が早々に5筋の位を取って中飛車。清水倉敷藤花は急戦調の構えから4筋の位を取りました。つばぜり合いから清水倉敷藤花が押さえ込みにいくような将棋になったのですが,斎田四段がうまく捌いて65手目に角交換に成功。ここからは後手ペースになっていると思います。その後,86手目に△7五飛と打った王手が厳しい手。さらに3筋にと金を作って挟撃態勢を整え,以下,ほぼ緩みなく寄せきって斎田四段の先勝となりました。後手玉は手付かずといっていいような状況ですから,快勝といっていいでしょう。第二局は26日に指されます。これは3番勝負ですので,ここで斎田四段が勝つとタイトル移動となります。
竜王戦は相矢倉になりました。予想通りといえると思います。封じ手の局面は先手の攻めに対して後手が受けに回っているという感じではないので,後手が下手をすると一方的に先手が勝つということもあり得そうですが,そうは簡単にはいかないでしょうね。所司七段が解説されています。
明日は船橋でスカイライナースプリントがあります(記事は16日を予定)。正直,低レベルのメンバーです。一応の中心はベルモントギルダー◎。最も格上のカセギガシラ○が相手で,注目は兵庫から参戦のプリティスキャン▲。あと,フォースキック△とゼレンカ△。
もしも神の本性に自由意志が属するなら,神は無限に多くのことを意志することができるでしょう。そしてその無限に多くの意志の中から,あるひとつの意志を現実のものとして表すわけです。しかしこれは逆にいえば,神は意志した事柄のうちたったひとつだけを行動として示すことができる。すなわち,神は意志した事柄のことごとくをなし得ることはできないという意味になるので,スピノザはむしろこれが神の完全性を否定すると考えます。これが完全性による説明です。一方,もしも神の本性に自由意志を認め,他方では人間に(自由ではないという意味での)意志があると考えるなら,これは同じ意志ということばで表される事柄でありながら,神に関しては必然的に神が十全な原因であるような何かについて言及しているのに対し,人間については人間が必然的に部分的原因にすぎないような何かについて言及しているということになります。しかしそれほどの隔たりがあるものについてそれを意志という同じことばで示すことは不条理でしょう。したがって,もしも人間について,自身が部分的原因であるにすぎないような意志があるということを認めるならば(これを否定することは難しいでしょう),同じ意志ということばで示されるようなものが神に属すると考えるのはおかしいということになります。これが意志ということばの意味による説明になります。
竜王戦は相矢倉になりました。予想通りといえると思います。封じ手の局面は先手の攻めに対して後手が受けに回っているという感じではないので,後手が下手をすると一方的に先手が勝つということもあり得そうですが,そうは簡単にはいかないでしょうね。所司七段が解説されています。
明日は船橋でスカイライナースプリントがあります(記事は16日を予定)。正直,低レベルのメンバーです。一応の中心はベルモントギルダー◎。最も格上のカセギガシラ○が相手で,注目は兵庫から参戦のプリティスキャン▲。あと,フォースキック△とゼレンカ△。
もしも神の本性に自由意志が属するなら,神は無限に多くのことを意志することができるでしょう。そしてその無限に多くの意志の中から,あるひとつの意志を現実のものとして表すわけです。しかしこれは逆にいえば,神は意志した事柄のうちたったひとつだけを行動として示すことができる。すなわち,神は意志した事柄のことごとくをなし得ることはできないという意味になるので,スピノザはむしろこれが神の完全性を否定すると考えます。これが完全性による説明です。一方,もしも神の本性に自由意志を認め,他方では人間に(自由ではないという意味での)意志があると考えるなら,これは同じ意志ということばで表される事柄でありながら,神に関しては必然的に神が十全な原因であるような何かについて言及しているのに対し,人間については人間が必然的に部分的原因にすぎないような何かについて言及しているということになります。しかしそれほどの隔たりがあるものについてそれを意志という同じことばで示すことは不条理でしょう。したがって,もしも人間について,自身が部分的原因であるにすぎないような意志があるということを認めるならば(これを否定することは難しいでしょう),同じ意志ということばで示されるようなものが神に属すると考えるのはおかしいということになります。これが意志ということばの意味による説明になります。