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竜王戦第三局。
予想された封じ手の△3五同銀以下,先手の佐藤棋聖が一気に攻めにいきました。まず61手目,飛車取りを放置しての▲4六角が決断の一手。渡辺竜王は当然,飛車を取って後手陣に打ち込みました。さらに佐藤棋聖は79手目に▲2八馬と馬も切って攻めの継続を図り,85手目,▲5二角と後手玉に迫りました。これに対して△5九と▲6八金引の交換を入れた後,一旦△4四飛と逃げ,▲3五金と打たせてから△4七飛成としたのがうまい手順(所司七段の解説だとこれは確かにいい手順だったようです)だったようで,以下100手目の△2一角の自陣角の受けが決め手のような形となり,その角はただで取られたものの106手目に△6二玉と逃げ越してからは後手玉を寄せにくくなり(実際にはこの局面ではまだ先手に勝ちがあったようです。118手目の△9四玉でさらに寄りにくくなり,おそらく120手目の△8五桂が攻防の好手で)攻守交代。以下は渡辺竜王が豊富な持ち駒を生かして緩みなく寄せきり(とはいえ,ここでも厳密には先手が余していたようで,121手目は▲7九銀と打つより▲7九金と引いた方がよく,123手目も▲7八同銀ではなく▲同金の方がよかったよう。ただ,これはどちらも考えづらい手という感じがして,秒読みでは指しきれないのもやむを得ないような気もします)勝利。対戦成績を1勝2敗とひとつ戻しました。
正直,3連敗では興味もやや薄れてしまうところで,竜王戦を盛り上げるためにもよかったように思います。この将棋に関しては,相矢倉で後手が攻め合い含みの序盤(渡辺竜王によるとこの後手の序盤作戦は失敗だったようです)でしたので,先手が一気に攻めていきたい感じはあり,ただ,厳密には少し足りなかった(攻めは足りなかったが,正しく受けていれば勝っていたわけです)ということなのだと思います(101手目,▲3四飛と打った手で,▲3四金だと攻めが足りていたというのが本当のところのようです)。ただそれは後手の渡辺竜王が正しく受けたからで,その部分が最も光ったといえるのではないでしょうか。第四局は29日と30日に指されます。
明日から別府記念が始まります。
原因と結果による説明は,意志ということばの意味からの説明に似ています。すなわち,もしも神の本性に自由意志が属するなら,すべての事物は神の自由意志を原因として生じるということになりますから,人間の意志も神の自由意志の結果であるということになります。ところが当然のことながら,事物の原因とはそれが生み出す結果とは異なるがゆえに原因といわれるわけですから,(人間の)意志の原因が(神の)意志であるというのは不条理です。したがって,人間に意志があることを認める以上,神の本性に自由意志が属するということは不条理であるということになります。
最後の本性の永遠性による説明は,事物の本性というのはそれがどんな事物の本性であったとしても,一定の時間によって説明されるものではなく,永遠の真理なので,たとえ神の本性に自由意志が属するとしても,神はすべての事物について(どんな事物にもそれに固有の本性があるので),それが現にあるのとは異なった仕方であるように意志することはできなかったということになるのですが,そのような意志について,それを自由意志というのは不自然であろうということです。
スピノザのこれら4つの説明からして,神の本性に自由意志は属さないということは明らかだろうと現在の僕は考えています。
このテーマはこれで終りにし,明日からまた別のテーマを採り上げることにします。
竜王戦第三局。
予想された封じ手の△3五同銀以下,先手の佐藤棋聖が一気に攻めにいきました。まず61手目,飛車取りを放置しての▲4六角が決断の一手。渡辺竜王は当然,飛車を取って後手陣に打ち込みました。さらに佐藤棋聖は79手目に▲2八馬と馬も切って攻めの継続を図り,85手目,▲5二角と後手玉に迫りました。これに対して△5九と▲6八金引の交換を入れた後,一旦△4四飛と逃げ,▲3五金と打たせてから△4七飛成としたのがうまい手順(所司七段の解説だとこれは確かにいい手順だったようです)だったようで,以下100手目の△2一角の自陣角の受けが決め手のような形となり,その角はただで取られたものの106手目に△6二玉と逃げ越してからは後手玉を寄せにくくなり(実際にはこの局面ではまだ先手に勝ちがあったようです。118手目の△9四玉でさらに寄りにくくなり,おそらく120手目の△8五桂が攻防の好手で)攻守交代。以下は渡辺竜王が豊富な持ち駒を生かして緩みなく寄せきり(とはいえ,ここでも厳密には先手が余していたようで,121手目は▲7九銀と打つより▲7九金と引いた方がよく,123手目も▲7八同銀ではなく▲同金の方がよかったよう。ただ,これはどちらも考えづらい手という感じがして,秒読みでは指しきれないのもやむを得ないような気もします)勝利。対戦成績を1勝2敗とひとつ戻しました。
正直,3連敗では興味もやや薄れてしまうところで,竜王戦を盛り上げるためにもよかったように思います。この将棋に関しては,相矢倉で後手が攻め合い含みの序盤(渡辺竜王によるとこの後手の序盤作戦は失敗だったようです)でしたので,先手が一気に攻めていきたい感じはあり,ただ,厳密には少し足りなかった(攻めは足りなかったが,正しく受けていれば勝っていたわけです)ということなのだと思います(101手目,▲3四飛と打った手で,▲3四金だと攻めが足りていたというのが本当のところのようです)。ただそれは後手の渡辺竜王が正しく受けたからで,その部分が最も光ったといえるのではないでしょうか。第四局は29日と30日に指されます。
明日から別府記念が始まります。
原因と結果による説明は,意志ということばの意味からの説明に似ています。すなわち,もしも神の本性に自由意志が属するなら,すべての事物は神の自由意志を原因として生じるということになりますから,人間の意志も神の自由意志の結果であるということになります。ところが当然のことながら,事物の原因とはそれが生み出す結果とは異なるがゆえに原因といわれるわけですから,(人間の)意志の原因が(神の)意志であるというのは不条理です。したがって,人間に意志があることを認める以上,神の本性に自由意志が属するということは不条理であるということになります。
最後の本性の永遠性による説明は,事物の本性というのはそれがどんな事物の本性であったとしても,一定の時間によって説明されるものではなく,永遠の真理なので,たとえ神の本性に自由意志が属するとしても,神はすべての事物について(どんな事物にもそれに固有の本性があるので),それが現にあるのとは異なった仕方であるように意志することはできなかったということになるのですが,そのような意志について,それを自由意志というのは不自然であろうということです。
スピノザのこれら4つの説明からして,神の本性に自由意志は属さないということは明らかだろうと現在の僕は考えています。
このテーマはこれで終りにし,明日からまた別のテーマを採り上げることにします。