三郎兼続の日記

趣味の写真で山登り・旅行を主体にした日記
最近は山登りが少なく、城郭・巨木へ

二本松城に行って来ました。

2023-07-18 11:19:13 | 城郭福島
2023年7月15日(土)に福島県の二本松城に行って来ました・・・山水会の山の会で明日は安達太良山登山の為此処二本松市の岳温泉に今日は宿泊しです。

二本松城は奥州街道の要所で古くから・・・室町時代中期応永21年(1414)奥州管領畠山氏が築城、天正14年(1586)には伊達政宗、天正18年(1586)の豊臣時代には蒲生氏郷、その後上杉景勝、加藤と代替わり、寛永20年(1643)に丹羽光重10万700石と変わりますね、戊辰戦争に際しては、城中には女子供年寄りの中徹底抗戦し落城城は焼失。

城は白旗ケ峰345mの本丸、麓に居住地のお城で、奥州街道沿いに大手門と広大なお城ですね、戊辰戦争時には藩士は会津の白河口の防御に行っていましたので・・・落城。

奥州街道脇の久保丁坂入り口の大手門跡の石垣。

石垣前には堀が在ったそうですが、今はありませんね・・・多分此処は堀跡なのでしょう?。

久保丁坂を上り(観音丘陵)下ります、二本松城(霞ケ城)の箕輪門(復元)・・・門前の千人だまりに二本松少年隊の像が・・・。

箕輪門・・・Xは筋違い紋(丹羽家の紋)丹羽家は織田信長の家老職で一時は100万石を超えていますね、浮き沈みが激しい家ですが力のある家だったのでしょうね??。

二本松城のお城(現霞城公園)の縄張り図・・・・二の丸は本坂御殿跡なのでしょうね?、三の丸は上段・下段、本丸は天守の石垣とハッキリしていますが、二の丸がハッキリ定義されていませんね?。

箕輪門を入り、振り返りますね二重の櫓門渡櫓付櫓と見事なものですね。

堀重門跡を回り込み石垣の上から箕輪門入り口を・・・門が敗れても此処から横矢掛かりですね。

正面下が堀重門跡の枡形虎口ですね、左側が大手筋がわ、こちらは三の丸下段です。

三の丸下段、右側が三の丸上段、奥が庭園の霞が池方面。

霞が池・・・睡蓮の花が沢山咲いています、霞が池の上の方にるり池とか滝が・・・城内の庭園が、向こう側の丘陵地帯に唯一江戸時代の建物で焼失を免れた洗心亭の茶室が残されています。

洗心亭です、右下側が霞が池。

折角ですから・・・今日は雨が降ったり止んだり・・・・安達太良山のロープウェイは風の為停止とか・・・・・明日は大丈夫でしょうね?。

庭園の一部をなす・・・イタヤカエデの巨木、根回り3・5m樹齢350-400年。

これはアカマツの巨木で笠松の名称が付く、根回り3m樹齢300年。

二本松城の裏手山頂脇・・・搦め手門石垣、左側が本丸方面。

搦め手門石垣。

本丸天守の内部から見た枡形虎口・・・左側は東櫓台。

東櫓台から見た天守台・・・二本松城本丸天守石垣跡・・・・奥の左の松の木奥方面が安達太良山なのですが雲で見えませんね、二本松城散策は此処までです、雨も上がりました明日に期待です。


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