2021年4月15日(木)に会津本郷の向羽黒山城に行って来ました、前回は三の曲輪でしたが、今回は水の手曲輪・二の曲輪(中城)です、次回は一の郭(本城)の三部となりますネ。
前回も出ましたが、左下から城内へ”お茶屋場曲輪”まで今回はほぼ中央の水の手曲輪と二の曲輪です。
お茶屋場曲輪からすこし戻る感じの左側に”みかえり坂”より上りますね。
路は階段をのぼりますよ。
急坂を上ると二の曲輪の切岸でしょうか?。
回り込むように上り階段があります・・・横矢かかりでしょう・・・此処からは上らず右横方面へ回り込みますね。
回り込むと削平地が段々又は土塁が見えました。
此処も水の手曲輪?・・・二の曲輪脇下に当たりますからネ、空堀と石が転がっていますし土塁が積み上がっていますし?。
なおも回り込むと段々の削平地竪堀が広がりますね。
左側は水の手でしょう・・・土塁が高く積み上がっています。
今の写真の続きです・・・・この空堀が水の手で右側に沢山の削平地・・・水の手曲輪なのでしょうね。
土塁の上から下がわを見ました・・・沢山の人工的構築が見られますからネ。
本当に沢山扇方に広がっていますからネ。
二の曲輪方面を見上げますね・・・虎口らしき切通が。
解りずらいですが、虎口ですね、左側が二の曲輪。
虎口ですね、左側手前下が水の手曲輪、正面突き当りは切岸で止まれ、右側に回り込むと、一の曲輪方面へ
突き当たり左側に階段があり二の曲輪へ。
少し近づくとわかりますね、二の曲輪の空堀と階段が。
階段を上ると下が解りやすく見て取れますね、結構な高さがあり上からの攻撃がしやすそうですね。
階段を上がれば二の曲輪です。
二の曲輪の説明版。
結構な高さの二の曲輪ですね周りに腰曲輪。
二の曲輪からも会津若松城方面が見えます・・・会津若松城と連携した防御の城ですからネ、徳川家康が関ケ原の戦いを始める前に上杉景勝征伐を、その時にはこの城を改修し強化したそうです。
こちら側も虎口ですね、一の曲輪側です道路向こう側が岩崎山山頂部で一の曲輪側です今は道路ですが、昔は堀切でやはり尾根を分断してたのです二の曲輪(中城)なのです、次回は本城でです。
前回も出ましたが、左下から城内へ”お茶屋場曲輪”まで今回はほぼ中央の水の手曲輪と二の曲輪です。
お茶屋場曲輪からすこし戻る感じの左側に”みかえり坂”より上りますね。
路は階段をのぼりますよ。
急坂を上ると二の曲輪の切岸でしょうか?。
回り込むように上り階段があります・・・横矢かかりでしょう・・・此処からは上らず右横方面へ回り込みますね。
回り込むと削平地が段々又は土塁が見えました。
此処も水の手曲輪?・・・二の曲輪脇下に当たりますからネ、空堀と石が転がっていますし土塁が積み上がっていますし?。
なおも回り込むと段々の削平地竪堀が広がりますね。
左側は水の手でしょう・・・土塁が高く積み上がっています。
今の写真の続きです・・・・この空堀が水の手で右側に沢山の削平地・・・水の手曲輪なのでしょうね。
土塁の上から下がわを見ました・・・沢山の人工的構築が見られますからネ。
本当に沢山扇方に広がっていますからネ。
二の曲輪方面を見上げますね・・・虎口らしき切通が。
解りずらいですが、虎口ですね、左側が二の曲輪。
虎口ですね、左側手前下が水の手曲輪、正面突き当りは切岸で止まれ、右側に回り込むと、一の曲輪方面へ
突き当たり左側に階段があり二の曲輪へ。
少し近づくとわかりますね、二の曲輪の空堀と階段が。
階段を上ると下が解りやすく見て取れますね、結構な高さがあり上からの攻撃がしやすそうですね。
階段を上がれば二の曲輪です。
二の曲輪の説明版。
結構な高さの二の曲輪ですね周りに腰曲輪。
二の曲輪からも会津若松城方面が見えます・・・会津若松城と連携した防御の城ですからネ、徳川家康が関ケ原の戦いを始める前に上杉景勝征伐を、その時にはこの城を改修し強化したそうです。
こちら側も虎口ですね、一の曲輪側です道路向こう側が岩崎山山頂部で一の曲輪側です今は道路ですが、昔は堀切でやはり尾根を分断してたのです二の曲輪(中城)なのです、次回は本城でです。
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