2021年4月15日(木)に会津本郷の向羽黒山城に行って来ました、郡山ー会津若松ー南会津からは歩きで阿賀川に架かる本郷大橋を渡りました。
途中で見た会津磐梯山です電車内から・・・・この磐梯山を軸に回り込むよう進みますね。
凄いですね、何の山かな?・・・飯豊連峰です・・・まだ真っ白です。
南会津駅から会津本郷方面へ阿賀川に架かる本郷大橋から見た磐梯山。
同じく飯豊連峰と素晴らしい景色です・・・肝心の向羽黒山城は?。
丁度磐梯山の逆側、阿賀川の向こう側に見える低い山左が岩崎山408m・隣が羽黒山・観音山(写っていない)・・・白鳳三山の岩崎山が向羽黒山城です。
向羽黒山城入口の案内板・・・岩崎山全山がこれ城郭ですね。
シンプルな縄張り図に置き換えます、図の左下の観音山(282m)・羽黒山(344m)は素通りします、岩崎山(408m)の城内へ・・・舗装道路が城内を貫いていますね、三の曲輪・御茶屋場曲輪・水の手曲輪・二の郭・一の郭と見ていきますね。
此処が城内への入り口です、後がインフォメーションセンターです・・・資料を頂きました。
観音山入口ですが、舗装道路を進みますね。
羽黒山も回り込みますネ。
漸く羽黒山と岩崎山の間に来ました・・・三の曲輪の案内板が、このお城は蘆名盛氏(蘆名氏16代)が永禄4年(1561)から11年(1568)8年の歳月をかけて築城、その後伊達政宗・蒲生氏郷・上杉景勝が改修したのです・・・黒川城(会津若松城)の詰めの城。
三の丸下。
三の丸から羽黒山方面を見る。
三の丸下から見上げる・・・段々の削平地が見えます。
三の曲輪です、この左側方面に北の曲輪があります(今回は行かず)。
舗装道路へ降りて奥に進みました、御茶屋場曲輪です。
景色が良いですよ、此処で景色を見ながら茶のをしみたいです。
飯豊連峰が・・・・。
少し右側にずらすと会津若松城(当時は黒川城が見え)その先に磐梯山が見えますね、此れからですが・・・。
途中で見た会津磐梯山です電車内から・・・・この磐梯山を軸に回り込むよう進みますね。
凄いですね、何の山かな?・・・飯豊連峰です・・・まだ真っ白です。
南会津駅から会津本郷方面へ阿賀川に架かる本郷大橋から見た磐梯山。
同じく飯豊連峰と素晴らしい景色です・・・肝心の向羽黒山城は?。
丁度磐梯山の逆側、阿賀川の向こう側に見える低い山左が岩崎山408m・隣が羽黒山・観音山(写っていない)・・・白鳳三山の岩崎山が向羽黒山城です。
向羽黒山城入口の案内板・・・岩崎山全山がこれ城郭ですね。
シンプルな縄張り図に置き換えます、図の左下の観音山(282m)・羽黒山(344m)は素通りします、岩崎山(408m)の城内へ・・・舗装道路が城内を貫いていますね、三の曲輪・御茶屋場曲輪・水の手曲輪・二の郭・一の郭と見ていきますね。
此処が城内への入り口です、後がインフォメーションセンターです・・・資料を頂きました。
観音山入口ですが、舗装道路を進みますね。
羽黒山も回り込みますネ。
漸く羽黒山と岩崎山の間に来ました・・・三の曲輪の案内板が、このお城は蘆名盛氏(蘆名氏16代)が永禄4年(1561)から11年(1568)8年の歳月をかけて築城、その後伊達政宗・蒲生氏郷・上杉景勝が改修したのです・・・黒川城(会津若松城)の詰めの城。
三の丸下。
三の丸から羽黒山方面を見る。
三の丸下から見上げる・・・段々の削平地が見えます。
三の曲輪です、この左側方面に北の曲輪があります(今回は行かず)。
舗装道路へ降りて奥に進みました、御茶屋場曲輪です。
景色が良いですよ、此処で景色を見ながら茶のをしみたいです。
飯豊連峰が・・・・。
少し右側にずらすと会津若松城(当時は黒川城が見え)その先に磐梯山が見えますね、此れからですが・・・。
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