昨日、上野の東京国立博物館で開催中の「運慶」展に行ってきました。
いや、平日だというのに20分待ちで、会場は大混雑。上野は「怖い絵」展が盛況だと聞きましたが、国立博物館の平成館は安定の混雑ですね(笑)。
最近の展覧会はどれも内容が充実していて、たとえばカラヴァッジオ展やアルチンボルド展などのように、一堂に会した作品を見ることによって、現地で見る以上の体験が出来るというのが特筆できるところです。
今回の運慶展もまさしくそれでした。
「運慶」展では、昨年、奈良の興福寺に立ち寄った時に拝観した仏像が数多く展示されていました。今回の展示は160体あまりある仏像のうち、20体近くが興福寺の所蔵品。数で言えば全体の八分の一、 印象的には三分の一くらいを占めていた感じでした。
展覧会の前に御徒町のヴェジ・ハーブサーガで腹ごしらえ。宝石箱を営むジャイナ教の店主が同胞のために作った店で、ピュアベジタリアン&ハラール認証、夜もアルコールは出されることはありません。
もちろん現地の興福寺で見るのと、上野の平成館で見るのとは当然ながら印象は異なります。
興福寺の展示も宝物館として並べられてますから、拝む対象というよりは、美術品を鑑賞する感じなのですが、やはり奈良という地の空気感は強い!
それでは上野の平成館の展示が、それに劣るのかと言えばそういうわけではなく、運慶という仏師がどういう系譜で仏を刻んでいたのか、今回の展覧会では、それを一遍に見ることができるというわけです。
つまり点在していた仏像を、同じ場所に集めて見ることによって、単品そのものでは、見えなかったものが見えるようになるということでしょうか。
展示の最後の方で、運慶の弟子や子どもが彫った十二神将などは、京都浄瑠璃寺にある5体と、平成館のお隣に収蔵されている7体が、何10年だか何100年ぶりに拝めるのですから、これは凄い!
今回の展覧会で見られた、運慶の鑿(のみ)による仏像の特徴は大きく三つのパターンに分けられると思います。
1つめは、上のポスター左にある無著菩薩(むじゃくぼさつ)と制多伽童子(せいたかどうじ)2体のような、リアルな人間をモデルにしたような仏像です。
高野山にある八大童子のうち、6体は運慶作と呼ばれているもので、「あ! こんな人いる!」という感じで、実に人間くさい仏像ですね。如来とか菩薩といった悟りを開いた、あるいはその直前の仏さまにはないパターンです。
お相撲で言うと、序の口から三段目くらいのお顔でしょうか。
2つめはポスター右にある四天王のような仏像群です。代表作は、ここでは展示されてませんが、奈良東大寺山門の仁王像ですね。
お相撲で言うと、十両から幕内力士のお顔と言いましょうか。
邪鬼を踏みつけるお姿は何とも力強い! 西洋彫刻などは悪魔は完全に退治され、息の根を止められるのですが、わが国の仏さまはそこまでいたしません。
さながら連中を反省させ、生かしておくように感じられます。
邪鬼の「もうしません、もうしません! お願いです、許してください!」という声が聞こえるようで、彼らもちょっとMっぽく嬉しいそう♡
彫る方の楽しんでいる息づかいが聞こえてきそうです♪
3つめは実際のモデルが存在しない仏とでも言いましょうか。
この展覧会では長岳寺の阿弥陀如来像がその典型で、同時代に作られた鎌倉の大仏によく似た仏像ですね。如来とか菩薩といったランクの高い仏像はいずれもこのパターンで、いずれも人間を超越した感じが漂います。
お相撲でいうと横綱大関のお顔・・・いや、もっと超越しているでしょうか。
一般的には、1と2のパターンが運慶のイメージと流布してますが、3のパターンの仏像も多く、伝運慶とされてる仏像はほとんどこのタイプに思えます。
誰が彫ったか、区別がつきにくいのですね。
ともかくも動乱の世に生まれたこの時代の仏師には、私たちは到底近づけない境地に達しているように思えます。
そういえばわたくし、八大童子の恵光童子(えこうどうじ)を見て「相撲で言うと序の口かな」と呟いたのですが、その瞬間童子の眼が「ぬかせ!」と言わんばかりにキラリと光り、思わず口をつぐみました。
いや、仏像として序の口であるはずがありません。これは失礼いたしました(笑)。
運慶展、今月末までの開催です。ご興味ある方はぜひ足をお運びくださいませ。