小暮満寿雄 Art Blog

ダジャレbotと間違われますが、本職は赤坂在住の画家です。作品の他お相撲、食やポリティカルな話も多し。右翼ではありません

「ブレードランナー2049」見て来ました!

2017-11-05 14:17:47 | Weblog

「ブレードランナー2049」見て来ました。

ネットの論評を読むと、わりと賛否両論でしたね。
「寝てしまった」とか「つまらない」「前作を見ないとわからない」という声もある一方で、絶賛の声もあり、見ないことにはわからないので早々行ってきました。

で、見た感想を言うと、意外と面白かったという感じでしょうか。3時間、堪能することが出来ました。

場内は満員。
後ろの席の一番端っこしか空いてないくらいの盛況でしたが、最初の30分はゆっくりとしてペースに慣れず、時々睡魔が襲ってくる感じ。

昨日のような好天の日に3時間もある映画、しかも暗く陰鬱な画面を見ているうちに「ああ、ネットの声通りかな」と思いましたが、慣れてくるうちに面白く見ることができました。

前作のシド・ミードが美術を担当した、東洋的な未来の夜景とはまったく別の作品で、特にPART1を見なくても、まったく理解に問題はありません。
むしろフィリップ・K・ディックの原作「アンドロイドは電気羊の夢を見るか」にある、白日夢的なイメージは今回の作品の方に色濃く感じられました。

ニセの記憶、作られた記憶というテーマはディックの作品に度々登場するテーマですが、前作で出来なかったことを、今回の作品で映像化したという印象を受けました。

タルコフスキー風の暗示的な映像も登場して、ハリウッド作品にしては芸術的な要素を多く盛り込んだ作品になっています。

楽しみにしてる方のために、今回はネタバレを書きませんが、アクション的な展開はあまり期待しないこと。最初の方は睡魔が襲ってくるかもしれないこと。ハリソン・フォードは年が年なので、出番はそんなに多くないこと。
画面が暗いので、楽しい気分にはならないけれど、見たあとのカタルシスは充分にあること。

見る前に、そんな予備知識があると良いかもしれません。

私はこの映画を見て、天才と呼ばれたSF作家フィリップ・K・ディックの作品を読み直してみようかと思いました。

 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「狩野元信」展、行ってきました!

2017-11-04 12:00:58 | Weblog

サントリー美術館で開催中(明日まで)の狩野元信展、行って参りました。
折しも、先日読了した「花鳥の夢」の主人公、狩野永徳の祖父に当たる人とあって、それは興味津々、いや素晴らしい展覧会でした。

元信は狩野派の開祖、正信の息子に当たり、狩野派の隆盛を切り開いた人物として知られています。元信の孫が永徳、永徳の孫が探幽と、一代おきに一族から天才が輩出されたことになりますね。

花鳥の夢で、永徳は祖父・元信をこよなく尊敬し、父・松栄の凡庸さにうんざりしていた、ということになってますが、実際にサントリーの展示や年譜を見ると、あながち小説のウソとはいえない感じです。

なにより元信の筆が非凡であること。
その後の江戸以降、北斎から若冲、蕭白、琳派の画家たちと、あらゆる日本の絵師のスタイルは、元信抜きには考えられません。

父、正信は南宋の画家・牧谿などから水墨画から、そのスタイルを学んで昇華させた人です。

中国の水墨画というのは、技術的な完成度はたいへんなものですが、スキがなさすぎてつまらないというのが、生意気ながらわたしの持論です。

正信が宋風の固いスタイルを受け継ぎながら、自由な筆さばきで描いているのを、元信はさらにそれを発展させ、時にはマンガ的とも言える筆致で人や建物、さらには木々を描いているのは興味深いところ。

そして、日本絵画の真骨頂である、たっぷりと空間をあけた表現を完成させたのは、先輩の雪舟が「明に学ぶものなし」と早々帰国してきたことを思い起こさせます。

展覧会4階の展示は、そうした風景を描いた障壁画や屏風絵が並べられており、まさに狩野派の真髄とも言える作品群だったのに対し、3階の大和絵、仏画の展示はやや趣を別にしていました。

元信から永徳の時代は、戦国から桃山にかけての動乱の世にも関わらず、狩野派はその勢力を伸ばしてきました。
言葉を換えて言うと、狩野派という絵画財閥が完成されてきたのですね。

現代ではアーチストが権力と結びつくのを良しとしない(良くはないですが)、この時代に天守閣や大寺の障壁画を描こうとして、権力と結びつかないこと自体、無理な話です。

それにしても狩野派はえげつないほど権力に取りいいって、勢力を伸ばしてきました。後年、御所の絵を長谷川等伯がその牙城に迫ったところ、手を回して退けようとしたのは、小説「等伯」や「花鳥の夢」でも生々しく描かれています。

3階に展示されている大和絵は、当時勢力が衰えてきた土佐派のテリトリーだったのですが、この時、土佐派は狩野派の下請け的存続にまで力が落ちていました。
大和絵や仏画といった、それまでは手をつけなかった分野にまで、手を広げたのですね。

これは戦乱の世に、大勢の門下を食わせていかないといけない成り行き上、当然のことなのですが、やはり仏画に関していうと、何か違和感がありました。

特に2日前、運慶展を見たばかりなこともあり、仏様の出来は一目瞭然。目を奪うような山水画とは比較にはならないものの、それはそれで一興かな。

受注の願いを書いた書簡や、応仁の乱の元を作った細川勝元の甥の肖像画があったりと、一門を背負う上での苦心がうかがえる展示が満載。

山水画や障壁画が元信の真骨頂ではありますが、別の意味で俗な大和絵や仏画も絵師として、リーダーとしての元信の顔が伺え、それは満足の展覧会でした。

明日までの開催ですが、お時間のある方はぜひ足をお運びくださいませ!

 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「運慶」展に行ってきました!

2017-11-02 11:00:46 | Weblog

昨日、上野の東京国立博物館で開催中の「運慶」展に行ってきました。
いや、平日だというのに20分待ちで、会場は大混雑。上野は「怖い絵」展が盛況だと聞きましたが、国立博物館の平成館は安定の混雑ですね(笑)。

最近の展覧会はどれも内容が充実していて、たとえばカラヴァッジオ展やアルチンボルド展などのように、一堂に会した作品を見ることによって、現地で見る以上の体験が出来るというのが特筆できるところです。

今回の運慶展もまさしくそれでした。
「運慶」展では、昨年、奈良の興福寺に立ち寄った時に拝観した仏像が数多く展示されていました。今回の展示は160体あまりある仏像のうち、20体近くが興福寺の所蔵品。数で言えば全体の八分の一、 印象的には三分の一くらいを占めていた感じでした。

展覧会の前に御徒町のヴェジ・ハーブサーガで腹ごしらえ。宝石箱を営むジャイナ教の店主が同胞のために作った店で、ピュアベジタリアン&ハラール認証、夜もアルコールは出されることはありません。

もちろん現地の興福寺で見るのと、上野の平成館で見るのとは当然ながら印象は異なります。
興福寺の展示も宝物館として並べられてますから、拝む対象というよりは、美術品を鑑賞する感じなのですが、やはり奈良という地の空気感は強い!

それでは上野の平成館の展示が、それに劣るのかと言えばそういうわけではなく、運慶という仏師がどういう系譜で仏を刻んでいたのか、今回の展覧会では、それを一遍に見ることができるというわけです。

つまり点在していた仏像を、同じ場所に集めて見ることによって、単品そのものでは、見えなかったものが見えるようになるということでしょうか。

展示の最後の方で、運慶の弟子や子どもが彫った十二神将などは、京都浄瑠璃寺にある5体と、平成館のお隣に収蔵されている7体が、何10年だか何100年ぶりに拝めるのですから、これは凄い!

今回の展覧会で見られた、運慶の鑿(のみ)による仏像の特徴は大きく三つのパターンに分けられると思います。

1つめは、上のポスター左にある無著菩薩(むじゃくぼさつ)と制多伽童子(せいたかどうじ)2体のような、リアルな人間をモデルにしたような仏像です。

高野山にある八大童子のうち、6体は運慶作と呼ばれているもので、「あ! こんな人いる!」という感じで、実に人間くさい仏像ですね。如来とか菩薩といった悟りを開いた、あるいはその直前の仏さまにはないパターンです。
お相撲で言うと、序の口から三段目くらいのお顔でしょうか。

2つめはポスター右にある四天王のような仏像群です。代表作は、ここでは展示されてませんが、奈良東大寺山門の仁王像ですね。
お相撲で言うと、十両から幕内力士のお顔と言いましょうか。

邪鬼を踏みつけるお姿は何とも力強い! 西洋彫刻などは悪魔は完全に退治され、息の根を止められるのですが、わが国の仏さまはそこまでいたしません。
さながら連中を反省させ、生かしておくように感じられます。

邪鬼の「もうしません、もうしません! お願いです、許してください!」という声が聞こえるようで、彼らもちょっとMっぽく嬉しいそう♡
彫る方の楽しんでいる息づかいが聞こえてきそうです♪

3つめ実際のモデルが存在しない仏とでも言いましょうか。

この展覧会では長岳寺の阿弥陀如来像がその典型で、同時代に作られた鎌倉の大仏によく似た仏像ですね。如来とか菩薩といったランクの高い仏像はいずれもこのパターンで、いずれも人間を超越した感じが漂います。
お相撲でいうと横綱大関のお顔・・・いや、もっと超越しているでしょうか。

一般的には、1と2のパターンが運慶のイメージと流布してますが、3のパターンの仏像も多く、伝運慶とされてる仏像はほとんどこのタイプに思えます。
誰が彫ったか、区別がつきにくいのですね。

ともかくも動乱の世に生まれたこの時代の仏師には、私たちは到底近づけない境地に達しているように思えます。

そういえばわたくし、八大童子の恵光童子(えこうどうじ)を見て「相撲で言うと序の口かな」と呟いたのですが、その瞬間童子の眼が「ぬかせ!」と言わんばかりにキラリと光り、思わず口をつぐみました。

いや、仏像として序の口であるはずがありません。これは失礼いたしました(笑)。

運慶展、今月末までの開催です。ご興味ある方はぜひ足をお運びくださいませ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする