小暮満寿雄 Art Blog

ダジャレbotと間違われますが、本職は赤坂在住の画家です。作品の他お相撲、食やポリティカルな話も多し。右翼ではありません

飯山陽の「イスラム教再考」を読了しました!〜「イスラムは平和な宗教」は箝口令だった!?

2021-03-30 09:09:08 | Weblog

飯山陽先生の「イスラム教再考」を読了しました。

今まで、「 イスラム教の論理」や「イスラム2.0」を読んできましたが、いや〜、今回も面白かったですね。よく書くことが尽きないもの…というか、今回の本は日本国民に対する警告の書となっていた点が特筆できるものだと思いました。

飯山先生の主張は基本シンプルです。

本の帯にあるように「イスラム教は本当に異教徒に寛容で穏健な宗教なのか?」という問いに対して、徹底的に「NO」を貫いています。

そりゃそうです。
神の言葉とされるイスラム教の聖典コーランに、イスラム教以外の異教徒はすべて誤ちであるから、駆逐するか、改宗させるべしと明記されてあるのですから。
(ちなみに私はコーランを読んだことがありません。これは本書を信用しての引用で、間違いなくそう書かれているはずです)。

コーランは神…アッラーの啓示ですから、一字一句たりとて人間が手を加えることはできません。象牙の塔の住民である、日本のイスラム学者がいくら「イスラムが平和な宗教」と主張しようと、神の言葉は改変できないというわけですね。
もちろん、イスラム教にも平和の概念はありますが、それはあくまでイスラムの価値観による「平和」であり、私たちが考える平和とは別物だということです。

本文にまったく関係ない、目黒マーダルさんのバターチキンとパラックパニールです♪

それにしても驚いたのが、イスラム学者の最高権威である故・井筒俊彦先生まで、「イスラムが平和な宗教」の先遣隊だったと記されていたことです。

多数の言語をあやつり、碩学の頂点とされていた井筒先生ですが、そういえば著書「イスラーム生誕」の中で、「アッラーは古代からアラブに伝わっていた神」と書かれていたのを思い出しました。

同書には、ムスリムにとって、ムハンマドが神の啓示を受けた後が「ムハンマド以後」で、その前が「ムハンマド以前」の世界と記されており(詳細の文面は忘れました)、そのことに妙に納得したものですが、いや…言われてみたら、確かにおかしいぞ。

だって、世界は神が全てを創造したわけですから、古代からいた何人もいた神から人間が選んだなんて話は、イスラムの教義に真っ向から矛盾する話です。

つまりは日本のイスラム研究は、「イスラムが平和な宗教」という主張を否定する人、学者を常に排除しようとしてきたというのが、彼女の主張ですね。

あれあれ。どこかで似たような話を聞いたことがあるぞ。

そうだ、「発達障害は治らない」「発達障害者に世間の人たちが理解すべきである」と主張してきた、いわゆるギョーカイの話が、この構図にそっくりではありませんか!

加えて言うと、箝口令を敷かれた医療の世界も同じですね。日本のイスラム研究も、「イスラムは平和な宗教」という結論が決まっていて、それに反する学者は、その中で生きていけないというわけです。

ムスリム料理を起源とするビリヤニは、宗教の違いを超えて美味しいですが(笑)♪

人間が築いた社会というのは、とかくこのような「絶対的主張」以外の意見を受け入れない現象が、しばしば見られます。

飯山陽の「イスラム教再考」が特筆すべき点は、日本の将来を案じて筆を取っていることでしょう。

「イスラム教が平和な宗教」という主張は、いわゆるポリコレと呼ばれる人たちに親和性があります。

ポリティカル・コレクトネス…性別・人種・民族・宗教などに基づく差別・偏見を防ぐ目的で、政治的・社会的に公正・中立とされる言葉や表現。wikiより。

その何が問題かといえば、「美白」という言葉を自主規制する大手企業のように、差別をなくすというお題目の下、イスラム教に対する過度な配慮をするあまり、取り返しのつかないことに発展する危険性です。

イスラムの教えにとって、「郷にいれば郷に従え」という言葉は通用しません。
あまねく世界が、彼らの神の教えに従わなければならない…というのがコーランの教えならば、日本の法律に従う必要はないというのが、本来のムスリムのあり方なのですね。

むしろイスラム教にとっては、全世界がイスラムになるというのが、本来の教えですから、彼らにとって日本の法律よりもイスラムの教えが優勢されなければならないわけです。

しかしながら日本は法治国家ですから、 日本にいるムスリムもそれに従ってもらわなといけません。

もちろん穏健なイスラム教徒も、この世に大勢存在し、私たちと仲良くやっていけることは確かです。ただ、そうした人たちの行動は、本来のイスラムの教えに即していないというジレンマがあることを忘れてはならない…この本にはそれが記されています。

本書はまさしく、その警告の書であります。

ポリコレの考えに沿って、イスラム教に対して配慮したところで、彼らの考えている人権や平和、神の概念は、私たちのそれとは違うのです。

よく日本人は無宗教と自分たちを言いますが、それはそんなことはありません。

正月に初詣に行き、教会で結婚式を挙げ、葬式をお寺であげるのは、西洋人からは理解されないかもしれませんが、日本は八百万の神々、多神教の国です。

日本人が決して受け入れられない神の概念を言えば、「この神以外、信じてはならない」ということでしょう。これはイスラム教と真っ向から背反します。

イスラム教とは、自分たちの考えとは別のものだということを認識しないといけないのですね。仲良くするのは、それからというわけです。

この問題については、また後に記事として書こうと思います。
今の日本人、必読の書に思えました。

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