漂着の浜辺から

囁きのような呟き。

猫のゆりかご・・・序文(8)

2012年09月15日 | 猫のゆりかご

 「ぼくは帰郷の途中でバシリッサに出会い、彼女と一緒にここに落ち着いた。それから一週間ほどは、ぼくらはここでふたりきりでいた。雨が続いていたから、ぼくはせっせと自分の本を整理して過ごし、余り出歩かなかった。そうしたある夜のことだ。ぼくはネズミを撃とうと思い、家を出た。そしてゴミの山の近くに寝そべって、ネズミがやってくるのを待っていたところ、チュッという甲高い声が聞こえた。どうやらネズミが一匹、他のハンターに仕留められたらしいと思った。それから、ぼくは彼女を目にした――ミセス・オトォワデイは――どう見てもずた袋にしか見えなかったが、腹ばいになってコソコソと逃げ出しながら、自分の仕留めた獲物を引いていた。彼女は古い家畜小屋の中にさっと飛び込み、ぼくは彼女の仔猫たちの鳴き声を耳にした。
 「銃声で彼女たちを怖がらせたくはなかった。銃を撃つ代わりに、ぼくはゴミの山の側で寝そべったまま、樹々を眺め、露が下りてくるのを肌に感じながら、時折どんぐりが落ちる音を聞いていた。そうしているうちに、ぼくはウトウトとしていたらしい。なぜなら、ハルがそこに座って、ぼくに『ハーミットと虎』の物語をしてくれているような気がしたからだ。またどんぐりが落ちた。そしてぼくは、そこにハルはいないということを知った。だが物語はそこでまだ続いていた。物語は、豚舎の中で続いていたんだ。
 「それはまったく同じ物語だった。物語の細部も、表現も――さらには言葉遣いまで同じだった。その言い回しは、ハルの芸術的才能の素晴らしい開花のように思われた言葉の使い方だった。そう、ここノーフォークの空いた豚舎の中で、貧相で読み書きもできないトラ猫が、自分の子供たちに、ぼくがアンカラで愛しいシャム猫の口から初めて聞かされたインディアンの人生の物語を、繰り返していたんだ。
 「何もかもが腑に落ちた。ハルが最初にしてくれた『ドブレフェル山地の猫』の説話は、叔母が古代スカンジナビア人のデーセント作の童話として話して聞かせてくれたから、子供の頃から馴染みのある物語だった。そして下手くそなブブ版の「青髭のむすめ」。『ケンタウロス』、そして『キツネの法王』についての、バシリッサのとりとめのないおしゃべり。そしてハルの、物語についての彼女自身の言葉は、子猫が自分の母親がしてくれる物語から学んだものだった。すべての物語の断片が、ぼくの目の前でキラキラと輝き、そして水銀のように互いに融け合って、静かに横たわっていた。
 「ぼくは自分自身に対して、今という時間の中でのみ生きるという誓いを立てていた。刹那のためだけに。心の奥底から、未来を失って生きるのがどれほど味気ないものであるかを分かっていなかったのなら、それほどまでに強い誓いを立てるべきではなかったのだ。ぼくの未来は決まった。猫の文化的遺産を学ぶことに身を捧げるべきなのだ。