漂着の浜辺から

囁きのような呟き。

短い金曜日

2018年05月01日 | 読書録

「短い金曜日」 アイザック・B・シンガー著 邦高忠二訳 晶文社刊

を読む。

  アイザック・B・シンガーはポーランド生まれのユダヤ系作家。生まれたのは1902年。イディッシュ作家として1978年に初めてノーベル文学賞を受賞しました。没年は1991年。もともと限られた人々にしか読まれなかったイディッシュという言語で書かれたシンガーの作品が世に広まるようになったのは、この本にも収録されている「ばかものキンベル」という短編が、ソール・ベローの手によって1953年に英訳されたためらしく、それが起爆剤となって、一気に世界中に広まりました。
 イディッシュといえば、ユダヤの言語というイメージがあったのですが、本のあとがきによれば、少し違うようです。ウィキペディアから引用すると、

イディッシュ語はドイツ語の一方言とされ、崩れた高地ドイツ語にヘブライ語やスラブ語の単語を交えた言語である。高地ドイツ語は標準ドイツ語の母体であるため、イディッシュの単語も八割以上が標準ドイツ語と共通しており、残りはヘブライ語やアラム語、ロマンス諸語、そしてスラブ諸語からの借用語である。初期にはヘブライ文字を伝統的に使用していたが、現在では標準ドイツ語に準じたラテン文字表記も存在している。
 世界中で400万人のアシュケナージ系・ユダヤ人によって使用されている。

 ということ。イディッシュは多くのユダヤ人たちによって話される言語ではあるが、ユダヤ語=イディッシュというわけでもないようです。
 しかし、イディッシュ語で忘れてならないのは、もともとユダヤ人たちによって主に話されていた言語であるという点です。そのため、第二次大戦のホロコーストによってイディッシュを話す人々のほとんどが虐殺されてしまった結果、「死んだ言語」であるとされた時代があったとか。そうした状況の中で、ヨーロッパに吹き荒れる反ユダヤ主義から逃れてニューヨークで生活していたシンガーは、あくまでイディッシュで書くことにこだわりました。自らのルーツに対する誇り、言語とともにあるアイデンティティ、そうした強い思いがそうさせたのでしょうか。

 この本は、初版が1971年。ということは、ノーベル賞を受賞するより前の出版ということになります。ぼくが初めてこの本を書店で見かけたのは、多分1984年頃だったと思いますが、あれは初版がそのまま売れ残っていたのか、それとも何度か版を重ねたものだったのかは、わかりません。なぜそんなことを覚えているのかといえば、ずっとこの本のことが、何となく気になっていたからです。自分の手元にあるこの本は、最近古書店で買ったものですが、初版なので(しかも、折がそっくり入れ替わっているページがあるというひどい製本ミス本)、増刷されたのかどうかもよくわからないのです(ノーベル文学賞を受賞した作家なので、その時に増刷がかかったんじゃないかなという気はするけれども)。
 この「短い金曜日」という短編集は残念ながら現在絶版になっているますが、新刊で買えるシンガーの作品も結構たくさんあるようで、根強い人気が伺えますが、それも納得できるほど、彼の作品はちょっと癖になりそう。
 ともかく、他の作家とは明らかに違う、奇をてらったというのではない、唯一無二さがあります。多くの優れた短編作品に時折見られるように、おそらくは土着的な説話が想像力の根にある文学なのだろうという推測はつきますが、そう言って説明した気になれるものでもありません。ほとんどの物語が、ごく普通のユダヤ人の庶民の物語です。しかし、ごく普通の物語とはやはりいいかねるのです。それは、背景にしっかりと存在するユダヤ教の影のせいばかりではないでしょう。
 収録作品は、以下の12篇。

ばかものキンベル
クラコフからやって来た紳士
老人

ただひとり
ヤチドとイェチダ
イェシバ学生のイェントル
短い金曜日
降霊術
コケッコッコッココー
天界の倉庫
ヤンダ

 以下、いくつかの短編のあらすじを。ややネタバレしてますが、それで面白くなくなるとは思えません。

 ソール・ベローによる英訳でシンガー人気に火をつけたという「ばかものキンべル」のあらすじは、次のようなもの。
 村人から「ばかものキンベル」と呼ばれるお人好しの男の物語。キンベルは村人らから身持ちの悪い女を妻にあてがわれ、結局、自分の子供ではない子供を6人も授かる。妻は死ぬ間際にそのことを告白するが、どこまでも良い人間であるキンベルは怒らないばかりか、死後に辛い思いをしている妻のことを気遣う。
 
クラコフからやって来た紳士・・・貧しいが正直な人々の住む村にクラコフからやってきたという男が現れる。彼は村に富をばらまき、人々を魅了するが、その正体は恐ろしい悪魔だった。

血・・・レブ・ファリクという誠実な男の二番目の妻になったリシャという女は、人ルーベンと出会ったことで、自らの内に秘められた残虐性に目覚め、楽しみのためにをすることをエスカレートさせた挙句に、人狼となってしまう。ともかく、リシャの描写がすさまじい。

イェシバ学生のイェントル・・・イェントルは、女性ではあったが、女性の興味のあるものにはまるで興味が持てず、男性のように勉強したいと願っていた。父親が死んだあと、彼女は男装をして、アンシェルという名前を名乗り、遠くの町の学校へと入学する。その途中で知り合ったアヴィグドルという青年と男として友情を結ぶ。そして、彼の紹介でハダスという、かつてアヴィグドルの婚約者であった女性の親の家に下宿することになる。しかしアヴィグドルは、実はハダスのことが忘れられず、他の男性と一緒になるくらいなら、親友の君と結婚して欲しいと言い出す。そしてアヴィグドルは別の女性と結婚してしまう。実はイェントルはいつの間にかアヴィグドルのことを愛しており、悩んだ末に一度はハダスと婚約するが、不幸な結婚をしてしまいボロボロになってしまっているアヴィグドルの姿に自らの正体を明かし、ハダスと結婚するように勧め、去ってゆく。トランスジェンダーものというか、まるで少女漫画のような物語。

短い金曜日・・・敬虔な貧しい夫婦の、一年で最も日が短い聖なる金曜日の夜の出来事。つつしまやかだが、幸せな食事をして、愛を交わしたその夜に、一酸化中毒によって並んで天に召されてゆく様子を描いた、静かで忘れがたい余韻の物語。

 他の作品も、どれも粒ぞろいで、楽しめます。どの作品にも、バックグランドにユダヤ教の倫理観というものがはっきりとあって、それがどこかエキゾチックです。そして、こちらの想像のやや斜め上を、あれよあれよという間に、物語がさっさと進んでゆきます。しかしそれが実にスムースなのは、語りの上手さのせいでしょう。崇高さと猥雑さが何の違和感もなく一体となっているシンガーのすばらしい短編世界。ラテンアメリカの小説が好きな人には、きっと肌に合うんじゃないかという気がします。もちろん、あらゆる短編小説ファンにとっても。