漂着の浜辺から

囁きのような呟き。

「想像ラジオ」と「日本SF展」

2014年07月28日 | 読書録
「想像ラジオ」 いとうせいこう著 河出書房新社刊

を読む。

 いとうせいこうが、長い沈黙を破って発表した長編小説。東日本大震災を受けて書かれた小説として、発表当時にかなり話題になったのは知っていた。それを、ずいぶん経った今になって、ようやく読んだ。
 ネタバレ云々というほどのことでもないだろうから、書いてしまうけれども、「想像ラジオ」というのは、東日本大震災の津波によってさらわれ、木のてっぺんにひっかかってしまったひとりの死者が、テレパシーのようなものというか、共感のようなものというか、そうしたものによって放送を行っているラジオ放送のことである。もちろん、それは実際のラジオ放送というわけではなく、実際にはある一つの焦点とも言える象徴的な存在に対して、強い関心というか意識を持つことによって共有される共同意識のようなものである。そしてこの小説はまさに、そうした状態が存在するのだということを描いている。ストーリー自体は、あってないようなものである。
 したがって、面白いのかどうかといえば、小説として成功しているとは言いがたいとしか言えないと思う。ただ、作品としての完成度によって失われるものを恐れたがゆえの未完成作品という感じも確かにする。積極的に何かを汲み取ろうとして、時には深読みをしすぎることさえ恐れない、そうした人の心にしか刺さらない可能性のある作品だが、そうしたところがつまり「想像ラジオ」にチューニングを合わせるというところなのだろうか。

 最近、ついブログを書く間が広くなってしまう。本を読んでいないわけではなく、大体週に二冊くらいは必ず読んでいるような気がするのだが、ちょっとした感想さえ書かないままになっている。書くことがないわけではないのだが、つい面倒で、気がつくと日が経ってしまっているのだ。それに、パソコンに向かっている時間よりも、庭の草花に向かっている時間のほうが、長くなっている気もする。じっと画面を睨んでいるのが結構な負担になる年齢になってしまったということか。

 昨日は、世田谷文学館で開催されている「日本SF展・SFの国」を見に行ってきた。
 灼熱とさえ言える蒸せる陽気の中、物好きにも、小金井から世田谷まで、夫婦揃って散歩がてら自転車で。
 途中、野川のほとりで休憩し、缶ビールを一本。そこから東八道路にでて、仙川にたどりつくと、その流れに沿って自転車を漕ぎ進んだ。途中、小さな公園で昼食。走っているうちに、なんだか空模様が怪しくなってきたが、雨に会うことはなく、無事に世田谷文学館に到着。
 あんまり人がいないんじゃないかと思っていたが、少ないにせよ、思ったよりも見学者がいた。
 展覧会は、ほとんどが「SF第一世代」と呼ばれる人々、つまり作家では小松左京、星新一、筒井康隆、漫画家では手塚治虫、画家では真鍋博といった人々についてのものに限定され、日本SFの歴史全体を俯瞰しようとしたものではなかった。その点では、同時代の人々にしか強く訴えかけるものがないものだったかもしれないが、真鍋博氏の絵は美しかったし、わかる人にはわかるといった、貴重な史料も多く並べられていた。
 SF展を見た後は、常設展へ。そこで、ムットーニのからくり人形を見る。
 ムットーニの名前は知っていたが、実物を見るのは初めて。
 見たのは、「猫町」、「月世界探検」、「山月記」の3つ。
 これが、すばらしかった。特に凝っていたのは、「猫町」。この儚くも妖しい感じ、ほとんど完璧といってもいいんじゃないかと思った。「月世界探検」もとても美しかった。その二つに比べれば、「山月記」はやや地味だったが、悪くはない。ムットーニの作品を見れたのは、「めっけもん」だった。ひとつ家に置いておきたいくらいだ。
 展覧会を見ている間に、大きな音がした。外では雷が鳴り、大雨が降ったのだった。けれどもすべてを見学し終える頃にはほとんど止んでおり、少しショップを覗いている間には完全に晴れ間が戻った。それで、来るときに比べれば格段に涼しくなった路を、家に向かって自転車を漕いだ。