漂着の浜辺から

囁きのような呟き。

逃亡日記

2007年02月12日 | 漫画のはなし
 昨日今日と、とても天気のよい連休だったのだが、娘のインフルエンザがやっと治ったばかりで、まだ出かけることができなかったため、一人で遠出するのはさすがに後ろめたく、西荻窪にちょっと散歩に出かけて古書店でジャック・ロンドンの「南海物語」を買ったり、僕がやっているもう一つのブログ「Sigsand manuscript」のデザインをちょっといじったり、記事を書いたり、図書館へ行ったり、本を読んだり、久々に絵具を引っ張り出して絵を描いたり、そして失敗したり、そんなことをだらだらとやっていた。
 
 ところで、今日、買うかどうか迷っていた

「逃亡日記」 吾妻ひでお著 日本文芸社刊 

 を、妻が買った(笑)。
 失踪日記三部作の完結編ということですが、前の二作とも、その辺に置いてたら、妻と小学校5年生の娘が、代わる代わる熟読しているんですよね。それも、気がつくと、しょっちゅう見てます。こんなの娘に読ませていいのかなあと思いつつ、僕も放っているんですけど。なんか面白いみたいです。

 この「逃亡日記」は、さらりと読み通したけれど、本人が言うほど酷い本でもないです(本人は、「この本は買わなくていいです。漫画の部分だけ、立ち読みしてください」と言っています)。
 便乗本といえば、まあそうなんですけれど、ずっと漫画界の極北にいた人ならではのリアルな話がいろいろと読めて、面白かった。立ち読みでも何でも、「読んで損をした」とは感じないと思います。

少年マガジン

2006年12月03日 | 漫画のはなし

 近所の古書店で、「少年マガジン」の1976年36号を見つけて、ふと購入した。300円。
 僕が初めて買った週刊少年漫画雑誌は、永井豪の「手天童子」の連載が始まった、まさにこの本だった。小学校二年生の時。それまでは小学館の学習雑誌くらいしか雑誌というものを知らなかったので、ちょっと背伸びをしている感じが嬉しくて、とても印象に残っている。
 この号に掲載されているのは、「おれは鉄平」、「釣りキチ三平」、「海商王」、「愛と誠」、「ぼんくら同心」などだが、それに混じって、「聖マッスル」という、強烈な漫画が連載されている。
「聖マッスル」は、ある意味で有名な漫画だから、知っている人は多いかもしれない。長く幻の奇作として語られていたようだが、数年前に復刊したことがある。北斗の拳などに影響を与えたと聞くし、そうした文脈から話題になったのだろうか。僕は、そんないわくつきの漫画だとはずっと知らなかったのだが、子供の頃に読んだこの漫画の印象は強烈で、同じくマガジンに連載された「地上最強の男 竜」や「サブの町」とともに、忘れ難かった。中でもこの漫画は、何と言っても、いわく言い難い気持ち悪さがあった。後々にまで語られているということは、同じように感じた子供が、いかに多かったかということだろう。今読んでも、やっぱりなんとも言い難いものがある。
 

AERA COMIC

2006年11月11日 | 漫画のはなし
 先日、最近徳間書店から創刊した「リュウ」という雑誌の創刊号(とはいうものの、「リュウ」はかつてやはり徳間書店から出ていた雑誌だから、復刊という方が正しいのかもしれない)を、パルコ・ブックセンターで見かけて、購入した。
 この雑誌、実は現在二号まで発売されていて、創刊されたのは少し前のことになる。創刊されたのは、知っていたのだが、読みたいのが吾妻ひでおさんの「不条理日記2006」だけだったし、知っている漫画家も殆どいなかったし、さらにいまひとつ買おうという気になるような表紙でもなかったし、ということで、見送っていた。
 ところが、第二号には高野文子が掲載されているということを知り、ふとかつての「マンガ奇想天外」のことを思い出した。あんな雑誌を目指しているのかな。それなら、やっぱり創刊号、買っておけばよかったかな、でも、もうないだろうな。そんな風に考え始めていたから、見つけたときには、「おっ」とばかりにレジに運んでしまった。
 それで、面白かったのかといえば、吾妻ひでおのマンガ以外には、僕には全く読む場所のない雑誌だった。ついでに言えば、吾妻さんのインタビューも掲載されていたのだが、これも酷かった。インタビュアーが一方的に喋り、吾妻さんは、ほとんど相槌を打っているだけだ。こんなの、インタビューじゃないでしょう。最近のマンガ雑誌って、殆ど読まないのだけど、こんなのばかりなのだろうかと思ってしまった。
 そういうことなので、「リュウ」は、二号を買うのはやめたのだが、そんな折、ふと書店でAERAのムック本、「AERA COMIC」というものが並んでいるのを見つけた。何でも、手塚治虫文化賞10周年記念ということ。
 この中に、吾妻ひでおさんと高野文子さんの新作が掲載されていて、思わずレジに運んだ。
 この本は、なかなか読み応えがあって、愉しかった。先の二人以外にも、浦沢直樹さん、諸星大二郎さん、谷口ジローさんらが、書き下ろしを寄せている(谷口さんの作品は、「坊っちゃんの時代」の外伝のような短編になっていた。三四郎ミーツ猫町といった感じ)。あと、しりあがり寿さんと西原理恵子さんの画力対決とか、面白かったですね。
 また、この本の目玉として、アメリカのGHQが、日本占領下で検閲用に収集した図書を保管した「プランゲ文庫」(というものがあるそうです)の中から発見された、手塚治虫の初期短編が復刻されている。
 ところで、「ブランゲ文庫」って、興味がありますね。ここにちょっと詳しく出ていましたが、本当に膨大です。どんなものがあるのだろう?

うつうつひでお日記

2006年08月04日 | 漫画のはなし
「うつうつひでお日記」
吾妻ひでお著

角川書店刊

を書店で見つけ、購入。読了。

 「失踪日記」そっくりな装丁で、同じ出版社(イーストプレス)から出ているのかと思ったら、超大手の角川書店から。「失踪日記」執筆時の頃の話で、確かに関わりのある本だけども。。。
 内容は、もうひたすらだらだらとした日記。面白いと僕は思うのだけれど、大した内容があるわけでもないし、吾妻ひでおに興味のない人には、もしかしたら用がない本かもしれない。でも、これだけブログが流行っているのだし、なんでもない日常も結構面白いと思う人が多いのかもしれないから、そういう心配もする必要はないのかな、とも思う。
 僕は、最初はなんとも思わなかったのだけれど、二回三回と読んでいるうちに、妙に面白くなってきた。

『坊っちゃん』の時代

2006年05月28日 | 漫画のはなし
 前回、小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)について書いた。
 それで、ふと思い出して、本棚から一冊の漫画を取り出して、再読した。

『坊っちゃん』の時代
原作/関川夏央 漫画/谷口ジロー


がその本。

 この本の中に、ラフカディオ・ハーンが少し出てくる。とても寂しげなハーンの姿で、印象的だ。

 この本を初めて読んだのは、今からもう20年近く前。高校の時、友人が貸してくれた。稲垣足穂などを知った頃で、明治から昭和初期に至る、「ハイカラ」という言葉の似合う時代に惹かれていた。この漫画も、そうした流れて読んだ。
 だが、それから時間が経って、今この作品を読むときに感じるのは、明治という日本が急速に西洋化していった時代の「歪み」だ。そしてその次に、この時代に生まれた歪みは、今に至るまで、歪んだままだと考える。作品の最後の方で、『坊っちゃん』を執筆しながら漱石が呟く「所詮、『坊っちゃん』は勝てんのだ。時代というものに敗北するのだ」「それでも、坊っちゃんは勝てんのだ」という言葉は重い。
 
 この漫画は、全部で五部に分かれている。第一部の主人公が漱石、第二部が鷗外、第三部が啄木、第四部が秋水で、最後にまた漱石に戻る。だが、僕が読んだ事のあるのは、その最初の作品のみ。今回再読して、いろいろと感じるところがあったので、残りも読んでみようと思う。

夕凪の街 桜の国

2005年07月09日 | 漫画のはなし
 太平洋戦争が終わって、六十年が経とうとしている。
 「もはや戦後ではない」とかなんとか。そうした言葉を弄んでも、やはり今はその続きの時間の中だ。六十年前、沖縄では四人に一人が死んだし、広島や長崎は、歴史上たった二回だけ使用された核兵器で、壊滅した。そうした時間の、その続きが今なのだと思う。悲しいことは繰り返したくない。本当は、皆がただそう思うべきなのだ。


 最近、一冊の漫画を買った。
 坂口尚の「月光シャワー」を捜して、パルコの漫画売り場を見ていたときに、ふと目に付いて、どうしても気になったから、買って帰ったのだ。
 
 「夕凪の街 桜の国」
  こうの史代 著

 という本である。

 これは、ヒロシマを書いた作品だ。
 さらに言えば、「原子爆弾が奪い去ったもの」を書いた作品だった。

 核兵器は、たった一発で、時間に大きな穴をあけてしまった。
 そんなふうに思った。

ケー

2005年05月28日 | 漫画のはなし
印象に残る漫画のはなし:6

「ケー」
森雅之著

この短編が収められている単行本「散歩しながらうたう唄」を手にしたのは、全くの偶然だった。
余りにも印象的なタイトルだったから、何気なく手にして、何気なく買った。確かそんな感じだったと思う。その辺りのことは、正直、余り覚えていない。
ただ、この本をはじめて読んだ時のことは、妙に印象に残っている。
僕の田舎は神戸なのだが、余り降らない雪がしんしんと降り積もった日だった。
僕はベッドに横になって、隣の部屋から聞こえてくるテレビ番組の音の断片を聞きながら、この本を読んだ。部屋の中が、真昼だったが、妙に白っぽい光で明るかったのを覚えている。
本を読み終わったあと、僕は犬を連れて近くの公園へ散歩に出かけた。
犬を公園に放して、雪を踏みながら、空を眺めていたのを思い出す。

玄関

2005年05月20日 | 漫画のはなし
印象に残る漫画のはなし:5

「玄関」
高野文子著

 高野文子の処女短編集「絶対安全剃刀」の出版は、ひとつの事件だったのではないかという気がする。
 この短編集によって、あるいは高野文子という天才によって、漫画というジャンルは、その可能性をぐっと広げたのではないか。そう思う。
 この短編集の凄いところの一つは、一作一作が画風が違うという点だ。
 一人の人間が、一冊の本の中で、これだけ違う、しかもそれぞれに完成されたスタイルの画風の作品を並べるというのは、前代未聞だったはずだ。高野文子は、限りなくスタイリッシュでありながら、パーソナルでもあるという、離れ業をやってのけている。
 この粒揃いの短編集の中でも、最も驚異的な作品は多分、老女を幼女として描いた「田辺のつる」だろう。閉じられたドアの向こうに流れる数十年の時間は、読むこちらの胸に重く迫ってくる。
 さて、この短編集の中で僕が一番好きな作品を一つ挙げるなら、ためらうことなく、末尾を飾る「玄関」を選ぶ。余りに好きな作品だから、最初の一ページだけで、ズッと深い気持ちの中に沈んで行く気がする。あらゆる漫画の中で、僕はこれがもしかしたら一番好きな作品かもしれない。

夏休み

2005年05月12日 | 漫画のはなし
印象的だった漫画の話:4

松本零士の漫画が好きでたまらなかった、小学校の高学年の頃。
氏の漫画ならなんでも読みたいと思っていたから、自然と青年向けの作品にも手が伸びた。
「マンガ奇想天外」を手にしたのも、だから自然な流れだった。

「マンガ奇想天外」は、ショッキングな雑誌だった。
僕がそれまで読んでいたマンガとは全く違う、過剰なほど個性的な作品が並んでいた。高野文子と出会ったのも、吾妻ひでおと再会したのも、鈴木翁二を意識したのも、すべてこの雑誌だった。どう理解してよいのか分らないマンガ群を前にして、いろいろと想像を働かせていたのが、懐かしい。

坂口尚氏の漫画を初めて読んだのも、この雑誌だった。
作品は、「祭の夜」だったと思う。
だが、実際に印象に残ったのは、次に読んだ「星降る夜」だった。特に、見開きのページが印象に残っている。なんて綺麗な草と星を描くのだろうと思った。
だが、坂口氏の作品の中で一番印象に残っている作品をひとつだけ挙げろと言われれば、僕は間違いなく、

「夏休み」
坂口尚著

を挙げる。
この短編が、坂口尚の最良の作品とは、言えないかもしれない。
だが、「マンガ奇想天外」の6号に掲載されたこの短編の、その美しい光と影が、僕にはずっと忘れられない。

故・坂口尚氏の公認ファンサイトを、ブックマークにリンクさせて頂きます。

方舟

2005年04月20日 | 漫画のはなし
印象的だった漫画の話:3

最近は殆ど漫画を読まなくなってしまたが、決して漫画が嫌いなわけではない。
それどころか、漫画の最上のものは、時として、小説よりも衝撃的であると思う。
それは、絵によって、多くを語らずとも雄弁であることができるからだろう。
絵によって紡ぎだされる世界は、論理的である必要はない。
一言の台詞や説明がなくとも、一続きの絵を提供しさえすれば、物語を、読者の空想にゆだねることさえ可能である。
そういう点で、小説よりも遼に自由度が高いメディアかもしれない。
そうしたことを踏まえた上で、
比較的最近(とはいえ、もう3年ほど前のこと)読んだ漫画の中で、とりわけ印象的だったのが

「方舟」
しりあがり寿著

なのだが、これは「破滅もの」の極北とも言える作品だった。同様の作品に作家J.G.バラードの「沈んだ世界」があるが、この漫画はそれを遥かに凌駕しているように思える。漫画だからこそ描き出せた、極限の喜劇である。
この漫画が成功している最大の理由が、その絵にあるのは間違いない。上手い絵では駄目なのだ。しりあがり寿の、でたらめとも言えるような独特の絵だからこそ、これだけの凄みが出てくるのだと思う。当たり前のことだが、漫画はやはり「絵」に魅力がないと成立しない。「上手いが、何の特徴もない絵」では、何一つ伝えることが出来ないだろう。

マッチ一本の話

2005年04月08日 | 漫画のはなし
印象的だった漫画の話。その2。

「マッチ一本の話」
鈴木翁二著

この漫画を初めて読んだ時の衝撃は、忘れられない。
冬の夜だったが、自分の周りの空間がすっと広がって、遠い時間の夜にそのまま滑り込んでゆくような、そんな感じがした。余りに感動したから、真夜中の犬の散歩に本を持って行った。そして、公園で犬を放して、街灯の下のベンチに座って、もう一度読んだ。左手の方向、ずっと向こうには暗い夜の海が広がっていて、ぽつりぽつりと船の明かりが見えていた。まるで昨日のことのように思い出す。
この物語は、どんな風にも読める。分かりそうでわからない。分からないけれども、分かる。そんな微妙なところで成り立っている物語だ。マッチ一本が燃え尽きるまでに映し出される、一瞬の伝説。あるいはデジャ・ヴ。そんな懐かしい物語だ。

ローリング・アンビバレンツ・ホールド

2005年04月06日 | 漫画のはなし
せっかく吾妻ひでお氏の話が出たのだから、僕の「吾妻ひでお体験」を少し書く。

初めて吾妻さんの漫画を読んだのは、多分「ふたりと5人」だったと思うのだが、床屋の待ち時間などに少し読んだくらいで、熱心に読んでいたわけではなかった。ただ、当時ああしたちょっとエッチな漫画を書くのは、永井豪と吾妻ひでおくらいだったので、印象に残っているだけだ。
実際に吾妻ひでお作品に「再会」したのは、「マンガ奇想天外」に掲載された「ローリング・アンビバレンツ・ホールド」という短編である。
これは、訳のわからない作品がやたらと載っていた「マンガ奇想天外」の中でも、特に意味がわからなかった。でも、何か深いものがあるような、不思議な気持ちになった。気になって仕方ないのだ。ただ、そう思って何とか読み解こうとしても、全く分からないのが、もどかしかった。
当時、僕は松本零士さんの大ファンだったので、「奇想天外」を手にすることになったのだが、そこで読んだ漫画家は、吾妻さんを含め、魅力的に思えたものだった。
さて、それで僕は奇想天外社から出ていた吾妻ひでお作品を読むようになった。「メチル・メタフィジーク」、「パラレル教室」、それから「不条理日記」。しばらくした頃、双葉社から選集が出るようになって、買い集めたりした。
しかし、何より衝撃を受けたのは、「夜の魚」と「笑わない魚」だった。
これは、決定的だったが、それを境に、吾妻ひでおは表舞台から消えてしまった。

吾妻ひでおといえば、ロリコンの教祖のような印象がある。多分そうなのだろうが、それほど嫌な感じがしないのが不思議だ。どう思ってもらってもいいが、僕にはそうした趣味はないし、どちらかといえば嫌悪感さえあるほどだ。だが、吾妻ひでおの作品なら、素直に読めてしまう。妻にさえ、「面白いよ」と、勧めることが出来てしまう。それは、作品が普遍性を持っている証拠だと思っている。

失踪日記

2005年04月05日 | 漫画のはなし
少し前、パルコブックセンターのSF小説の棚を何となく見ていたら、ソフトカバーのついた単行本タイプの雑誌で「吾妻ひでおの現在」という特集をしているのを見かけた。懐かしくなって、手にとってぱらぱらと読んだ。そこで、近く「失踪日記」という本が出るということを知った。
しばらく忘れていたのだが、ふと思い出して調べると、もう出版されているという。しかも、相当売れているようだ。それで、早速今日買ってきた。
一読した感想は、「おもしろかった」。いろいろと思うものはあるけれど、中島らもさんの諸作が「面白い」と思うように、面白かった。さらに付け加えれば、これは誠実な、いい本だ。
吾妻ひでおが失踪していたというのは、以前太田出版から出ていた「夜の魚」と「定本不条理日記」の、あとがきにかえた描き下ろしで知っていた。だが、これほど本格的なホームレスをしていたとは思っていなかったし、アル中で入院していたとも知らなかった。死ぬぎりぎりだったんだなと思う。だが、読んでいても、本人は本当は死にたくなんてないんだと考えているのが、伝わってくる。だから生還できたのだろう。アルコールも、断ってもう五年になるという。鬱を持病のように抱えているようだから、常に爆弾の機嫌をとりながらではあるが、とりあえず生還できたと言っていいんだろう。破滅型に憧れていた年頃から遠く離れた今では、そうしたニュースが嬉しい。
この本が、一冊でも多く売れればいいと思う。本としても素晴らしいし、何より、いきなり旦那に失踪された奥さんは、幼い子供を二人抱え、かなり途方に暮れて苦労しただろうから、少しくらい潤ってもいい。
この本、お勧めです。