つらいと思う日々に

いたずらにわが身世にふる・・・

刺激

2022-03-11 | Weblog
ー1980年、花崗岩を8枚ほど合わせて、アメリカのジョージア州にガイドストーンが建てられた。
そこには7か国語で、世界人口は5億人が適切であると書かれている。
今も世界はそれに向かって動いているー。
人工的に、世界中に起こる問題は、偶然で起こることはない。
意図されたことである。
現在、世界人口は77~78憶程と思われる。
地上での清浄さを維持できるのは、80憶位が精一杯と思われる。
これからの増加をたどれば、あと10年ほどでいっぱいいっぱい。
浄化作用がきかなくなり自然淘汰となる。
ゼロに帰すと思われる。そして、誰もいなくなった、と。
その後、どれほどの劫を経て、地上に再び人類が甦る。
その時、二度と悪のエネルギー進化とならないよう、過去を思い出す事である。

この世の中は「受」の世界である。
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2022-03-09 | Weblog
今のところ、
少数は本当のことを言い多数は嘘を言う。
少数は的を射て得るが、あまりに突拍子な事なので、常識的に信じてもらえない。
常識は、何を基準に常識としているのか、多くに尋ねても分からない。
歪められた日常が繰り返されて正当性を持ち、常識とされてきたために、
何ら疑問を抱くことがなくなった。
多くは噓をついても本当としてしまう。
少数は本当を言っても嘘だとされてしまう。
公が正しいとは限らない。「赤信号、皆で渡れば怖くない」としても、
不正にしてあるために、皆害を被ることになる。
邪が権力を握れば、皆苦しむ。倒されない限り皆苦しむ。
あなた方の過去は、苦しみではなかったか?
生まれてこの方、苦しみが多くなかったか?
苦しみより喜びが生まれると信じて、多くの悲惨さをくぐり抜けて、
ささやかな安堵にたどり着く。が、我慢は堪忍とは違う。

安堵はささやかであってはならない。
則というのは、守らなければならない。
守らないものは、やがて必ずはじかれる。
どこへはじかれる?不意なところにはじかれる。
赤信号は、皆で渡るほど怖いことである。
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道理は浄化の法則

2022-03-08 | Weblog
現代の科学技術は、第二次世界大戦当時とはけた違いに違い、
かなりの進歩をしている。そのため、戦争と言うには核戦争を意味する。
その意味で、現戦争は小競り合いという段階での争いである。だから、
戦争(核)は起こらない。
核戦争となれば、人類共倒れとなる。また、大気圏外にも多大な影響を及ぼす。
そうなれば、天空の生命体にも害を及ぼすために、彼らが黙ってはいない。
それこそ人類は、太刀打ちできないものに抗うことになり、完全に滅ぼされてしまう事になる。
火の扱いを知らないサルとみなされ、過去に学習しない危険生命と認識され排除の対象となる。

他に危害を加えるものは、法則上浄化されるのである。

過去において、原子爆弾は使われてきたが、現在はその破壊力が格段に違う。
使えば共倒れとなることは知っている。
人間であるサルは、まだ助かる道は残されている段階にいる。
そしてまた、地球にいる天空の飛来者も、地球が害されることから守る。
邪悪もまた、盛者必衰の理にあり、栄枯盛衰を迎えている。
道理は、いかなる力も変えることはできないのである。

現段階の争いを教訓にして、この時間線上、あと10年ほど滅亡は避けられる。
学習することである。エネルギーの法則は、浄化の法則であるという事を。
縁起であることから学ばなければならない。




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思い直す心の識

2022-03-06 | Weblog
生命はエネルギー(気)である。
私達は意識生命体である。エネルギーは、その本質自由であるための円運動となっているために、
無くなることがない。つまり、生命に死は無い。永遠である。ゼロからゼロへと戻って、終わりのない法則となっている。
連綿である。意識生命体は、肉体という物質を作り、そこに宿して成長していく。
その肉体経験が記憶となり、記憶の積み重ねによって心が作られていく。
その心の判断が意識となって、今の性格・性質である。
意識生命体エネルギーは、物質的肉体を創造し、それに宿ってのみ経験の感覚を受して認識、成長をしていく。
肉体は物質であるために死をもって亡くなっていくが、その経験を通して学んだ知識(エネルギー)は、智恵となって
蓄積されていく。つまり、エネルギー(記憶)が増大していくのである。肉体の死と共に一旦ゼロ(あの世・時間空間のない世界)と
なるために、生前の記憶が現象されていき、あの世は生前の記憶の現象世界となっていく(生前の連綿とした記憶のエネルギーの現象世界となっている)。
つまり、肉体も記憶の現象肉体であり、夢の世界と同じ世界となっている。
ただ記憶が現象されていくだけで、新たに記憶が作られることはなく、新たに心が成長するためには、再び肉体に宿らなければならない。
この世に生まれるという事はそういう事である。生まれれば赤子となって、一から記憶を作っていくことになる。
生前の記憶は、あの世で一旦ゼロとなるために忘れてしまう。赤子の様子となって、なにも知らない(思い出せない)と
なってしまうという思い込みにはまる。この何も知らないとする思い込みをしなければ輪廻からの解脱ができる。
もう肉体に宿らなくても、意識生命体エネルギーとして、時空の存在しない場の存在となることができる。
つまり、永遠の不動の動となることができるのである。そこは、退屈しない世界である。
全知全能であるが故に、退屈を克服することもできるのである。
もう忘れるというゲームをしなくてもよい世界である。
因みに、全知全能であるという事は、答えを知っていることでもあるために、
存在の意味さえ失ってしまう。
そのために、忘れることをして、何のためにとする存在の意義を求めて、忘れるゲームをして
退屈をしのいでいたが、さらに、一歩踏み込んで、退屈でないという思考をすることもできたのである。

 
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一喜一憂を超えて見つめる

2022-03-04 | Weblog
人間万事塞翁が馬である。
人それぞれの寿命を持つ。強靭でも実に敢え無く死す。
病弱にありながらも長く生きたりする。何が悪く何が良いということもなく、
それぞれの課せられた使命で、無知にしての長尺がはかられる。
無知を克服しての短命は、本命に生きる。
ただ無知にしての長命は、意味のない苦しみである。
無意味な人生は無いものを、無意味にして生きる哀れさ悲しさ。
ただ容姿を飾り立て、生まれたままの姿を知ることなく、事物に執着して生きる無価値。
この世の一つ一つの物事を、立場に見て思う。
あの時はあのように思った。この時はこのように思ったと、
時の流れに沿いながら、確かに賢く思えているなら、その身は天寿を全うする。
それぞれの使わされた命の寿命を。やがて、輪廻の垣根を超える。
本命である。
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欺瞞の社会

2022-03-02 | Weblog
テレビの影響は多大である。
だから、大衆をコントロールすることは容易になる。
真実を捻じ曲げて放送することもできる。
金融支配されている社会構造は、金の力で人の心まで変えることができる。
哀れな社会が作られてしまったものだ。
金に依存する社会は、真実も捻じ曲げられる。
疑いをもって生きる社会は、人間が目指す本物の社会ではない。
だから、崩壊してしまう。
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円運動が浄化であり世の法則である

2022-03-01 | Weblog
今、
公には悪者とされている側が、本当は善の正義であって、
公には正しいとされている側が、悪の正義を通している。
公に、私たちのほとんどは、悪の正義に騙され続けているものである。
真実は、隠されている。
だから、世の中は、悪い奴がのさばり、善い者は生き辛い。
気づく人はどれほどいるのだろうか?頭がいい悪いではない、道理の直感で意識することである。

正義とは、その存在の上の道理である。善悪というのは人々の概念であって、エネルギーの法則にはない。
つまり、エネルギーの法則は、「善もないが悪もない。悪がなければ、それは善ではないか」ということ。
だから、特に善いことはないが悪いこともなければ、それは善いことである。という事にある。
普通が一番良いという事、起伏なく穏やかを意味する。それが幸せと思う意識が大事である。
幸せは誰でも望むのが普通であるが、幸せは不幸せと抱き合わせである。幸せを望めば不幸も受け入れなければならない。
その覚悟があるなら、幸せを望めばよい。だが、不幸せは嫌だという一方だけの受け入れは道理上存在しない。
それは、一枚の紙の存在を見ればわかるはずである。
法則は、
悪がなければすべて善という法則となっている。だから、法則は浄化の法則となって、すべからく元に戻るという
ゼロに帰す。意識の中に善悪を作るのは、人の思い、意識に他ならない。その悪の意識を浄化するのが円運動となっている。
円運動の変化が浄化である。
必ず元に戻る、きれいにもどる、ゼロ地点に戻りゼロ地点から再び始まる。ただ繰り返しながら永遠に巡る。
それが浄化作用である。正しい浄化とならなければ、法則に沿わず苦となって巡る。
苦の巡りを修正するには、どこかで気づき、意識を正すことである。
浄化の意識となれば、苦はなくなっていく。法則に沿うためである。これがこの宇宙の存在の法則である。
円運動のエネルギーであるために、無くなることがない。
ただ変化していくだけである。この変化が浄化なのである。この宇宙の諸々の道理である。
だから、生命というのは、死がゼロ地点となって、再び生と繋がっていく。なくなってしまったわけではない。
変化しているだけである。
だから、宇宙は、不増不減であり、不生不滅であり、不垢不浄と説かれている。
あなたはいずれ亡くなって天国か地獄に赴く。それは自身の業に基づく。
生きている間に、善いことをして生きていれば、死後の世界は安泰である。
悪いことをして生きていれば、必然、地獄となる。死後安泰となりたければ、
悪い行いを修正して生きていくことにある。それは難儀ではあるが、後が楽になる。
本当は、悪い人ほど自分がかわいいために、他を押しのけてまで自分が良い思いをしたいと思う。
世の法則、エネルギーの法則が浄化の法則であることを知らない。
まったくと言ってこの道理に無知である。まぁ、馬鹿そのものであると言える。
訓えても理解できないために、馬鹿と言う。哀れな存在である。
そこである偉い坊さんが、彼らこそ助けてやらなければならない存在であるとして、
悪人正機説を唱えたのである。
頭が良ければ訓えればわかるし、また、一人で正しく歩いて行けるが、
馬鹿だと訓えてもわからない、間違えるために他人に害を及ぼして生きる。
手を差し伸べて、導いてやらなければ地獄に落ちる哀しい存在であるために、
一番に助けてやらなければならない存在であるとしている。決して悪人を擁護しているわけではないのである。
間違えてはならない!


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