つらいと思う日々に

いたずらにわが身世にふる・・・

表向きの裏切りの刺激を受けて

2022-03-12 | Weblog
第一に、「約束は破られた」・・・
・・・最も信頼を裏切る行為である。
現在、過去に学び、
誰しも争いはいけないとしている。
上に立つ人はよくよく心得ている。

合意を裏切り、土足で勝手に縄張りに入れば、
入られたほうは抵抗する。
突然何かに襲われれば誰しも戦う。
肉食動物と草食動物の突然の出遭いは、食うか食われるか。
そこに悪気はない。ただ生きるための戦いとなる。下等動物であれば仕方がない。
人間は、高等?動物である。善悪を持つ。が、動物には違いない。食べ物とされる範疇にはある。
高等動物には善悪の合意があるが、裏切るという自由の理由がある。そのために、
戦わないわけにはいかないことが起こる。
その理由を知らないで、争うことはいけないことだと断言はできない。
どちらも正当性があるとして争うものである。
だが、嘘をつけば、法則によって露呈されていく。
道理に逆らうことはできない。
まだ正義は残されている。少しの救いである。

あなたが、地面に唾を吐いても、地球はあなたにされっぱなしである。
些細な事でも、あまりよろしくない事であれば、その報いとなっていつかあなたに返ってくる。
忘れていても、いつか違った形で返される。それは、善いことに関しても同じである。
いつか戻ってくる。また、倍返し倍々返しとそれなりに戻ってくる。返される。

道理は、縁起の法則であり、円運動の法則である。
ゼロから始まりゼロに戻る。きれいに戻るのである。
始まりもないし終わりもない。ただエネルギーのまったりとした存在である。
生命は、そのエネルギーから作られている。

邪悪は嘘をつき善を装う。その装いは企みであるために、ある程度そのように動いていく。
が、世の中(エネルギーの法則)は善悪のない動きであるための、絶対善の動きとなっている。
道理である。この道理を知らなければ、ほぼ間違う世の中が出現していく。
善悪は無いのがこの世の法則である。だから、必然、世の中は法則にしたがい正されていく。
通常であること。それは、起伏なく平らに滑らかに物事が進んでいくことにある。
異常とする現在の状況は、起伏にあるが必ず平らにされていく。
風邪をひいて熱が出て治っていくように、エネルギーの法則は、必ず元に戻る。
生きているという事は、その道理を覚ることにある。
生きていれば、善いも悪いも起こるが、
そんな時は、人間万事塞翁が馬と心得るべし。
そうすれば、魂は善くなっていく。
事は善い方向になる。




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