つらいと思う日々に

いたずらにわが身世にふる・・・

天国に起伏は無い

2022-03-27 | Weblog
この宇宙の存在は、エネルギーの法則によって作られている。
エネルギーは量子であり自由にある。
その自由は、エネルギーの円運動となっている。
全てが巡る動きの変化が刺激となって存在している。その刺激に反応し現象となってくる。
だから、この世界は受の世界となっている。
反応するしないは自由である。だから、なぜ?というのの答えは自由だから。
たとえば、私の好き嫌いは自由という理由である。なぜそれが好きで、あるいは嫌いなのかは
その人の自由意識による。ほかに理由などない。自由が理由である。この自由という意味を理解できなければ、
真に答えは得られない。疑問ばかりに終始する。
自由がエネルギーの性質であるために、この自由は道理にして、いかなる力でも動かすことはできない。
核の力でも及ばない。存在のそのものが、どのようにして刺激を受けたかに由って初めて変化する。
全てが「受」の世界となっての存在である。だから、個々によって違いが出てくる。
同じことを見聞きしても、まったく同じとして受け取られることはない。
似てはいても非なることとしてある。どのようにこのことを理解するかは自由。
ただ、統一できるのは、エネルギーの法則が、存在としている自由が、
善悪などない存在であることを理解して、そのことをどのように受け止められたかによって、
現象世界が変わってくる。円運動は巡るという正義だけである。
存在の正しい義(いみ)があるための現象世界である。
エネルギーの法則は、善悪のない法則であることを、どのように解釈するかで違ってくる。
人の意識にある善悪は、その人の自由にあるために、悪人と善人が存在してしまう。
どちらも正義であるために存在し、方や楽が現れ、方や苦が現れる。
天国と地獄である。それが、自身の受け方で行き来する。
苦しみの世界に喘ぐのは、善悪を意識するからである。法則には善悪は無い。
だから、人の意識にある善悪を捨て去って、法則の「無い」を意識することである。
何もないことが幸せであると、日常として存在となっている。
天国に起伏はなく、ただ平。
人の常識は非常識でもある。
自身の意識を改めよう!



コメント
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