人は常に何かを食べて過ごしている。
どこかへ行っても飲食に勤しみ、
美味しいものを食べるためにのみ生きているような感じがする。
最も、食べていなければ体を維持できず、食べることによって、
人生の半分は成長に値し、後の半分は衰退に属して身体の一生である。
しかしながら、肉食にあれば肉体は維持向上覇気を得るが、
精神は鈍りただやみくもに貪りに生きていく。
菜食が主たれば、肉体は落ち着き、精神が研ぎ澄まされて
善悪の導を知る。
身体は煩悩にあり、精神は寂静にあるも無知にして、
身体を媒体として寂静を得るものである。
菜食にして足るを知り、精神研ぎ澄まして心身一対となれば、
その身にして、飲食を離れて精神現象の身体を得る。
まさに不滅の身である。
食して生きるとは、煩悩に克つことである。
ただ美味しいものをあさり貪るだけでは、
その身、その心、病となるのみである。
心身ともに成長に値するのは、
足るを知り、貪りに与ることの無いように、
心の食事をすることである。
偏に、感謝の念をもって与ることである。
どこかへ行っても飲食に勤しみ、
美味しいものを食べるためにのみ生きているような感じがする。
最も、食べていなければ体を維持できず、食べることによって、
人生の半分は成長に値し、後の半分は衰退に属して身体の一生である。
しかしながら、肉食にあれば肉体は維持向上覇気を得るが、
精神は鈍りただやみくもに貪りに生きていく。
菜食が主たれば、肉体は落ち着き、精神が研ぎ澄まされて
善悪の導を知る。
身体は煩悩にあり、精神は寂静にあるも無知にして、
身体を媒体として寂静を得るものである。
菜食にして足るを知り、精神研ぎ澄まして心身一対となれば、
その身にして、飲食を離れて精神現象の身体を得る。
まさに不滅の身である。
食して生きるとは、煩悩に克つことである。
ただ美味しいものをあさり貪るだけでは、
その身、その心、病となるのみである。
心身ともに成長に値するのは、
足るを知り、貪りに与ることの無いように、
心の食事をすることである。
偏に、感謝の念をもって与ることである。