つらいと思う日々に

いたずらにわが身世にふる・・・

一如として

2015-08-09 | Weblog
自由を侵す者、
これは、
必ず成敗される。
自由の持つ性質である為に、
何人に於いても、他の自由を害うのは後痛い目に遭う。
追放されるのである。つまり、自由からの追放となるために、
永遠に浮かばれないものとなってしまう。
科学でも何でも、緻密にして計算されてある仕組みというのは、
答えというものを持っているが、その答えが正反対でありながら、
どちらも正しいとして現れるのは、自由に導かれた答えである。
円がどこまでいってもゼロという数字を出せないのは、円そのものがゼロとなっているためで、
もともとそのゼロの答えの中から産物しているために、
どんなに計算したところで、
永遠に割り切れる数式には辿り着くことが無い。
ゼロから生まれている応えである為に、
自分という個々の存在を、どこから来てどこへ行くのかという問いかけに、
終始するのみ。限りなくゼロに近づく数式を見いだせても、それはとても複雑で
難しく、浪々と綴られるが、ただ一点のゼロという解明に至らない。
すでに、ゼロが数式を担っていて、はたまた答えとなっているためである。
これが自由という生命の根本であり、エネルギーの性質である。
このことを理解すれば、難解も単純も同一にして一如を知る。
それは、自分というものが答えとして現れている自由である。
コメント
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