(無無明 亦無無明尽 乃至無老死 亦無老死尽)
無明は地獄の世界。無無明とは地獄が作られてしまうと
地獄の世界が無くなる事が無く、地獄が尽きて無くなってしまうことも無いことである。
それに、老いて死にゆく怖さも無くなる事が無く、また、老いて死にゆく怖さも尽きて無くなる事も無い。
(無苦集滅道 無智亦無得以無所得 故菩提薩埵 依般若波羅蜜多)
苦を集め滅していく方法が無くならず、智慧も、また智慧で得た力も無くならない故に、
悩める多くの人々の悟りへの道が開かれている。
(故心無罣礙 無罣礙 故無有恐怖 遠離一切顛倒夢想)
道が開かれているのは、心が心経の文字に礙げられず、無を無いとするのではなく、
無くならないとして、心の自由な思いとなっているためである。心が文字に礙がられないから、
無が無くならないものとなってしまうために、恐怖も無くならないとなり、救われなくなってしまう。
そのために、救われないとする思いを一切遠くへ切り離して、無くならないものは無いとして、
顛倒して思い、想いから恐怖を無くしていくことである。
(究竟涅槃三世諸佛 依般若波羅蜜多)
そうすることが、悩める多くの人々の涅槃となり、三世にわたり佛となることができる悟りの世界である。
無明は地獄の世界。無無明とは地獄が作られてしまうと
地獄の世界が無くなる事が無く、地獄が尽きて無くなってしまうことも無いことである。
それに、老いて死にゆく怖さも無くなる事が無く、また、老いて死にゆく怖さも尽きて無くなる事も無い。
(無苦集滅道 無智亦無得以無所得 故菩提薩埵 依般若波羅蜜多)
苦を集め滅していく方法が無くならず、智慧も、また智慧で得た力も無くならない故に、
悩める多くの人々の悟りへの道が開かれている。
(故心無罣礙 無罣礙 故無有恐怖 遠離一切顛倒夢想)
道が開かれているのは、心が心経の文字に礙げられず、無を無いとするのではなく、
無くならないとして、心の自由な思いとなっているためである。心が文字に礙がられないから、
無が無くならないものとなってしまうために、恐怖も無くならないとなり、救われなくなってしまう。
そのために、救われないとする思いを一切遠くへ切り離して、無くならないものは無いとして、
顛倒して思い、想いから恐怖を無くしていくことである。
(究竟涅槃三世諸佛 依般若波羅蜜多)
そうすることが、悩める多くの人々の涅槃となり、三世にわたり佛となることができる悟りの世界である。