つらいと思う日々に

いたずらにわが身世にふる・・・

覚りなさい と・・・

2007-07-15 | Weblog
あの世には、時間も空間もないために、
どんなに長い間その界にいても、
時間を感じる事はない。
長いとも短いとも思うことがない。
それはどのようなものかといえば、
わかりやすく、夢を見ているのと同じ状態と思えばよい。
夢にも時間と空間がないために、夢を見て飽きる事もなく、
瞬時に様々な場所と時間が入れ替わる。
夢の世界はあの世と同じ現象である。
夢を見て、今、自分は夢を見ていると思わないように
死んで、あの世にいても、ここがあの世とは思わない。
それは、生命そのものに死がないからである。

稀なる時間を得て、いつの世にか、再び生まれ変わって人生を送る。
同じ人間としてであるが、
名も、性も、姿がたちも違う人として生きる。
もちろん生まれる場所も環境も違って・・・
それは、前世の行いの縁によるもの。
前世に於いての縁をもって、
宿命で命を運んでいく。
だから、生き方によってその運命は自由に変わる。
変えられた運命は、縁を持って宿命となる。
人生が再び死を迎えて、
あの世へ、そしてあの世をへて未来世へと
行いによって得た縁をもって、宿命として趣く。
縁によって、姿形、時と場所が変わる。
それを永遠繰り返す。あの人生この人生と・・・。

実にそれは苦しみであると覚った人、仏は言う。
智慧をもってそれを知り、
生まれ変わる縁を絶ち、
苦しみよりときはなされるよう努め励め、怠ることなくと・・・
人が生きるー人生はそれを目的として、
悟り得るまで繰り返す。
わからなければ、
知らないばかりに誤りをする。
誤まるために、苦しみを繰り返す。
この世と地獄と、と ただ行き来して・・・




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智慧を身に付けて

2007-07-14 | Weblog
あの人生この人生と繰り返すのは
苦しみである。
二度と生まれ変わるなと仏は言う。
母胎に宿る事がないように、
智慧をもってその理を知りなさいと。

人としての行為、つまり
人としての生殖行為をしなくなれば、
母胎に宿る事がなくなる。
禁欲を守り、性行為を滅していけば
人としての縁が無くなり
生まれる事がない。
そのために、女性を意識としないように
思いを制御する。
女性を見ず、誘惑に惑わされないようにするために、
世俗の世を離れて山に暮らす。

思いを自然の思いとするために、
自然に学び、自然の識を得る。
その自然の識を智慧として、智慧の判断をする。
智慧の判断は、自然の身に付いた判断であるために、
法の判断となり、誤まることの無い判断となる。
あらゆる事柄に即断できるものとなる。
だから、迷う事が無くなり、迷うための苦がなくなる。
苦がなくなるために、憂える事がなくなる。
いつも安穏と構える事ができる。

知識は、他人の経験を正しいものとして学び、受け入れたもの。
人の経験であるために、誤まっていても、その誤りを正す事ができない。
自分の経験とならないことは、真にはわからない。

自然に学び、自然に経験したものは自分の識となる。
繰り返し繰り返し、自ら経験していくために、
わからないことが無くなる。
それが智慧である。
智慧は唯一客観視できる判断である。

できるだけ客観的に物事を見ようと思う思いは、
人の主観。
人は客観的に判断する事はできない。
智慧を身に付けて判断しない限り、すべてが主観的判断。
その判断は誤まる。

人としての行為を滅する。
智慧でもって判断をしなければわからない言葉。





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人は哀しいものだね

2007-07-13 | Weblog
今日は辛い日だった。
そんな日もあるさ、と
気にしないようにするが、
生きているということは、
それだけで辛いものだね。

今日は良い日だった。
こんな日もあるのか、と
生きていたことに感謝する。
生きているということは、
それだけで有り難いものだね。

この二つの事柄を繰り返して
日は過ぎていく。それに、
何も感じず、曖昧に過ぎていく多くの日を交えて、
哀しんで、喜んで、無駄に過ぎていくものか?

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先に苦を選ぶ

2007-07-11 | Weblog
楽あれば苦があるのだから、
二者択一を迫られたとき、
楽なものより厳しいものを、楽な道より険しい道を選ぶことだ。
困難なものを越えて楽は与えられる。
楽なものからは苦がまっているだけ。
これは道理だから。
先に、苦を選べ。後に楽しい。
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かの世の識

2007-07-11 | Weblog
私たちは、
私たちの常識というもので考えて判断をする。
それは、人の世の事柄であるために、
かの世には通じない。
この世で かの世を判断しようとしても
それはできない。
かの世は、この世の経験とならないために、
経験とならないことは、人の判断となることがないからである。
もし、この世に於いて
かの世の経験をしたとしたら、その時点で
そこは かの世であるために、
この世の経験とならなくなる。
その時点で、その人は
かの世の人。
この世の人になることがない。
この世の人には、かの世の人を見ることはできないが、
眼で見るだけが見えるというのではない。
心は形態なく、その形態のない心で感じて見えるものである。
人の常識を無くして、自然を識として見えるものである。
自然を識として得たものを智慧という。
その時、かの世はこの世に滲み、
僅かながら知る事がかなう。




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正すこと

2007-07-09 | Weblog
夢を見る。
夢の世界と あの世の世界は同じ現象の世界。
記憶の現象の世界である。
日々の行為が経験となって記憶となっていく。
その記憶が現象されていくのが
夢であり あの世である。
繰り返し行われる日々の行為が、経験となり絶対となって、記憶となっていく
為に、行為が誤っていれば
経験の誤りとなり、記憶の誤りとなる。
記憶が現象の世界をつくっていくために、
記憶が誤っていれば、当然 誤った現象の世界がつくられる。
誤った現象とは、正しくない現象であるために、悪の現象である。
つまり、地獄の世界である。

生きているときの、日々繰り返される行為が経験となり、絶対となって
正しいとされて記憶されていく。そのために
誤った行為がされていけば、すべてが誤ったものとなる。
当然、死後誤った世界となる。

夢も死後の世界も、ともに記憶の現象された世界であるために、
夢を判断すれば、死後の世界が天国となるのか
地獄となるのか ある程度わかる。

眠っているときの姿は死んだ状態と似ている。
そのときに現れている世界が夢である。
印象が強いもの、あるいは、気になったこと、
強い願望などが記憶にとどめられ、現象となる。
あの世も同じである。
恐い夢、嫌な夢をたびたび見るのは、
今の状態が悪い様であるためで、
そのようなままで生涯を終えれば、
行く先の世界は当然地獄。

記憶に悪を持ち込まないことである。
悪いことを行為とせず、経験とせず、記憶としない、
気にしていかないことである。
経験が縁となるために、
正しなさいというのは
そのためである。



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世は円であるために

2007-07-08 | Weblog
行為は繰り返される事によって
習慣となる。
習慣は絶対となって正しいとなっていく。
これは 一連の円の動き。
反復される事によって一つの性癖となる。
この性癖が記憶となって絆となる。
遺伝となる。
似たものとなっていく。
行為にもとづいて創られていく。
繰り返された行為で業ができ果ができる。
行為の果が業報。
善いことと、悪いことの行いは
それなりの果を招く。これは必定である。
道理は円であるために。
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約束

2007-07-07 | Weblog
今日は七夕。
夢のある日。夢を見れる日。
久遠のロマンの
情に絆されて、生きる世界に安らいで
今ある自分をそこに重ねる。
ひととき夢を見る。
良い夢を見る。心は自由を持つために。
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自分を見て、知る

2007-07-06 | Weblog
哀しい時に友のいることは嬉しいものだ。
楽しい時に友のいることは嬉しいものだ。
自分が優しい人であれば、自然と友はできるものだ。
類は友を呼ぶといわれるように、
良い人には良い人が集まる。
自分が良い人かどうかは、自分の心がよく知っている。
自分の友が良い人かどうかは、
自分の心を見てわかる。(ーー;)
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優しい

2007-07-05 | Weblog
優しさは徳をつくる。
情けに長けて、
躊躇することなく手をさしのべる。
悲しみや苦しみを理解するには、
自分が哀しくなければならない、苦しんでいなければならない。
その中にいてこそ
人の痛みがわかるもの。
その中にいてこそ
情けが通じるもの。
共に助け合って救われるもの。
立場を同じにして、理解しうるもの。
救われるもの、救えるものである。
善は急ぎなさいといいます。
善い事をするのに、何を迷う事がありましょう。
迷っている間にも、弱っている人は
いなくなってしまうのですから・・・。
時は待つことを知りません。
貧しき中からも
施し与えるものは最上の徳を得ると
先達は一様に言います。
僅かな中にあってなお分かち合うものは
幸いである。
後に於いては安楽を得る。



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