つらいと思う日々に

いたずらにわが身世にふる・・・

智慧を身に付けて

2007-07-14 | Weblog
あの人生この人生と繰り返すのは
苦しみである。
二度と生まれ変わるなと仏は言う。
母胎に宿る事がないように、
智慧をもってその理を知りなさいと。

人としての行為、つまり
人としての生殖行為をしなくなれば、
母胎に宿る事がなくなる。
禁欲を守り、性行為を滅していけば
人としての縁が無くなり
生まれる事がない。
そのために、女性を意識としないように
思いを制御する。
女性を見ず、誘惑に惑わされないようにするために、
世俗の世を離れて山に暮らす。

思いを自然の思いとするために、
自然に学び、自然の識を得る。
その自然の識を智慧として、智慧の判断をする。
智慧の判断は、自然の身に付いた判断であるために、
法の判断となり、誤まることの無い判断となる。
あらゆる事柄に即断できるものとなる。
だから、迷う事が無くなり、迷うための苦がなくなる。
苦がなくなるために、憂える事がなくなる。
いつも安穏と構える事ができる。

知識は、他人の経験を正しいものとして学び、受け入れたもの。
人の経験であるために、誤まっていても、その誤りを正す事ができない。
自分の経験とならないことは、真にはわからない。

自然に学び、自然に経験したものは自分の識となる。
繰り返し繰り返し、自ら経験していくために、
わからないことが無くなる。
それが智慧である。
智慧は唯一客観視できる判断である。

できるだけ客観的に物事を見ようと思う思いは、
人の主観。
人は客観的に判断する事はできない。
智慧を身に付けて判断しない限り、すべてが主観的判断。
その判断は誤まる。

人としての行為を滅する。
智慧でもって判断をしなければわからない言葉。





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