ただ生活のために好きでもないことを仕事として従事する。
それは奴隷そのものである。不自由にして苦しく生きている。
これがお金崇拝社会である。お金がなければ何も叶わないとされた社会である。
だからお金お金と執着し、お金の稼ぎのある人を善として信頼し頼る。けど、
金稼ぎの上手な人ほど怪しく生きる。お金稼ぎは、真面にして難しいことで、
何かしら作為的で無ければ多くは稼げないものである。真面目にして倹しくあるのが真実である。
灰皿とお金は、たまればたまるほど汚くなると言われる。ある意味本当の事である。
タバコを吸う人ほど灰皿は捨てない。特に昔はそうであったが、近年は時代と共に、
タバコを吸う人は疎まれるようになって、肩身が狭くなっている。
それは時代が好い方向(浄化)に向かっているからと思われる。このたばこの事柄一つとっても、
時代は浄化の方向にある。それでも、タバコを吸う人はいなくはならないし、タバコを作る者たちは、
悪いものと知りながら合法として作り販売する。健康を害するものとしてそこに気を付けてと、吸う者に責任を委ねる。
権力として矛盾を認めながら、金の支配に屈する社会。お金を悪とし、善に使う術を封じて、
欲にまみれた社会としているのは、偏に悪人の為せる業である。
現在、時の変化は栄枯盛衰の時にあり、悪人の衰退にある。
だから、世の中悪いことが露骨に現れ、その転倒していた様が諦かにされてきた。
終る兆候は、甚だ燃え盛る、を示す。
実は、正義とされてきたことが正義ではなかったと現となってきた。
人の意識の善悪は、拮抗してあるも、輿論は「変」に気づき始めた。
現権力が終る兆候である。