つらいと思う日々に

いたずらにわが身世にふる・・・

明日という道理

2024-02-13 | Weblog

少し足早に春が来そうだ。

春一番は、眠りこけているわが民族の覚醒にやくだつ。

眠りを覚ませと言わんばかりの春一番は、社会の風潮を一掃する。

有識者と言われる人たちは、何をもって言われているのか、お金につられた単なる人達である。

惑わされていれば迷い道フラフラである。

大きな組織は、個々の人々に偽善をもって頼る。

災害義援金の(寄付を募りながら)手数料(送り賃)まで個々に頼る。

組織としてそこまで儲けようとする浅ましさは、偽善の何物でもない。

何でも金金金次第のぎすぎすの社会になってきた。大きなものが小さなものにおんぶにだっこ。

戦後間もないころの我が国は皆助け合いの精神豊かに、大きなものが小さなものを助けた。

助け合うところの個に負担は生じさせない社会であったが、完全に金融支配社会となって、

いけいけどんどん、

なんでも金が信用信頼につながり、あたかも金のないところは悪人の吹き溜まりとされていった。

契約書というのは金融支配社会の保険である。相手を信用できないための証拠固めに他ならない。

今の世の中、本人がいても、それを証明とする「覚え書き」がなければ本人でなくなり、認めてもらえない。

何ともおかしな社会となっている。本人(命)より大事なもの「金」・「覚書」となった過った世の中である。

さて、そんな歪な世の中、社会が正されようとしている。正されるのは必然の道理である。

「歪」とされるものは崩壊して消滅してしまう。

これが「存在」とする世の道理である。秩序正しくあるために「存在」となっているのであるから。

何度も言うが、常に明日は明るい日となっている。明日が来ない日は無かったしこれからも無い。

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