つらいと思う日々に

いたずらにわが身世にふる・・・

はぐらかすという事件

2023-08-06 | Weblog
気を逸らす。
そのために、
 ・として大小様々な歪な事柄をさらけ出させる。
その仕業は、過去においてはとても有効であったし、今なおかなりの効き目はあるが、
何度となく同じような手腕では、その手腕を逆手に取られて、通用しなくなる。
騙すつもりが騙されて、偽りの善があからさまに。
紛らわす事にはどうでもよい事柄を充ててきたが、少し本当のことを紛れ込ませて、
騙しのテクニック(技術)向上を狙ったつもりでも、進化というのも進歩して、
騙されたふりをしている。騙すほうは、当然騙したつもりでいるために、
大きな隙を生み、事柄に粗さを残し雑になる。
どうせ相手は馬鹿だからと見下した思いが仇となり全てがばれる。
確かに頭脳明晰にあるために、今までの長い年月騙し続けられたのであろう。
穏やかにして、流暢にして語られた仕草、振舞は、端正であればあるほど疑わしさを増す。

奢れるものも久しからずであり、猛きものも終には滅びぬ、である。
企みは、世の中の道理に為す術はない。

追い詰められたものは、がむしゃらになる。そして、最も大きな事柄をあてがい、
的(自分たちの悪事)をはぐらかす。拉致という事件の進展を導く。
ある意味それは、善い進展である。余りの時の少なさに、大いなる慈悲の慈が働いたのだろう。
偽りは人の為と書く。つまり、人の為としての嘘である。
自分たちの嘘を隠すために、また、天の恩赦を受けるために人の為として偽った。
その慈悲の悲は、図らずも偽った者に報う。
悲とは、地獄の世界、慈は愛の世界である。

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