つらいと思う日々に

いたずらにわが身世にふる・・・

一如を理解する

2016-07-31 | Weblog
世界中でテロが起きている。
無差別に殺戮をするが、それなりの方向性を持っての行為なのだろう。
でもそれはあまりに悲しい行為、憐れな、愚かな、としか思えない自殺的行為である。
自殺的行為と充てるのは、真に自愛にあるものは、他を迫害しないものであるから。
愛あるもの、つまり、
愛する者というのは、‘愛する者が愛する者に為す行為を自らに為している’である。
私は自分をとっても愛していますと言ったとしても、他に対してよくないことをしている者は、
自分を愛していないという事になる。反対に、もっとも自分を傷つけていることになるということを知らない。
自分を愛していると思いながら、言いながら、もっとも自分を愛していないということに気づかない。
また、
私は自分を嫌いです。嫌いでたまりませんと思いながら、言いながらも、
他に対して、善いことをしている者は、もっとも自分を愛しているということになる。

世の中は、回っているものである。
直線的進行というのではない。この宇宙のあらゆるものが廻って進んでいるのである。
それも、片時も止まることなく、である。
だから、昨日と同じことを今日も繰り返す。もちろん、明日もである。
その様にして、日々は廻りながら、つまり、同じことをしながら進んでいるのである。
その進みは直線的ではなく曲線的で、円を描いているのである。だから、
元にかえってくるということを繰り返している。
ブーメランのように、自分の投げた行為は自分にかえってくるのである。

あなたと私は同じ人間である。少しも違わない。
でも、あなたと私は全くの別人である。違う人である。
この同じと違うを理解することである。

あなたがした行為は私には関係ない。
私のした行為もあなたには関係が無い。まったくの繋がりは無い。

でも、繋がりという事を理解できなければならない。

一如としてある。すべて繋がっているものである。繋がりが無いように見えていて、
繋がっているのである。だから、・・・
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