つらいと思う日々に

いたずらにわが身世にふる・・・

自分という最愛

2016-07-16 | Weblog
企業の経営者たるもの、
私利私欲であってはならない。
私利私欲にあれば、来世は餓鬼になる。
なぜ、今生
経営の立場にあるのかというのは、自助努力に他ならないものであると考えるなら、
来世はすべてに於いて貧することになる。
餓鬼の世界である。
世の中は、糾う縄の如しである。
この道理をよくよく理解して、今の立場において最善を尽くすこと、これに尽きる。
最善というのは、善悪の善をな為すということで、出来るだけの努力が必要である。
置かれてある立場に於いての最善を為すという事である。
ある権力にあれば、尚更、その権力に甘んじて慢にあるなら、次は
悉く最低に置かれる。
置かれるという事になるのは、この身、何一つ自分の自由のならないものであるからである。
生かされるというのは、自分の業においてあるものであるが、他力の自由から生じているものである。
その事を知る由もなければ、ただただ、糾う縄の如しの運命を繰り返すが、それも、いつも苦の中からの、
糾う立場となっていく。苦しみ多くして喜び貧弱、更に愚痴って、苦しみ多大にして楽しみ極貧と糾う。

人はみな自分より愛しいものを見出すことはできない。本音である。
母が父が子を思う愛情においても、何ら変わらないものである。でもそれは、自分の命に代えても
子が大事とするも、自分を最愛とする思いそのものであることを理解できなければならない。
単純な思いである。
愛する者が愛する者に為す行為を、自分に為すことになるからである。

何かの長たる者の立場は、善の真髄を試されている。
その権力を正しく使うことは難しい。ほとんどは幻の如く、
倖せの記憶をとどめなくなる。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする