つらいと思う日々に

いたずらにわが身世にふる・・・

てんごく(諂曲)

2011-02-27 | Weblog
嫌われるのは嫌である。だから、気に入られようと本心を隠して
従順を装いながら接するも姑息なものだ。
その心の中は勝他の念で、常に修羅の妄執。「諂曲なるは修羅」。


自分を見つめて、自分を治めて、
ただ自分に克つことをしていれば、相手に振り回されることも無くなる。
悲しむことも哀しまれることもなくなる。
競い争うのは自分というものとである。他と競争してはいけない。すべての競争というのは、
自分に向けての戦い、競い克つものである。他に向けては勝ることが無く、見かけの勝敗は共に安穏となることが無い。
悔しさと悲しさと、束の間の(慢)足と、(負)(追)われる苦しさとに(付)(疲)つかれてしまう。

八方に美人を装うことは適わないものである。嫌うものと好くものが同等、均等が取れて成り立っているものなのだから。
皆、唯一つの個である。他よりも優れるものを持ち、劣るものを持ち、
補い補われ、つながり入れ替わり共に生きている。

水は上から下に流れるものである。その流れに逆らい、上るものは唯苦しい。
流れの下はもとの上につながっているもので、自然に上につながっていて
上る。敢えて上らず、流れに任せて努力も実るものである。
心が曲がっていれば唯苦しい。


コメント
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