つらいと思う日々に

いたずらにわが身世にふる・・・

2009-11-16 | Weblog
生命を浄化することが「刹」であり、
この生き方が法に沿う生き方である。智慧の行為である。
人の行為行動は、すべて刹をするためが目的達成の修行行為となっている。
「悪いものを刈る」事を刹という。だから、正しいことに専念し、
よいことをして生きていくことが生命浄化の行為となるために、
善が修行となってくる。
刹のされないところには神仏は現れることは無い。「無刹不現身」と
いい縁を説く。簡単に言えば、
綺麗なところには綺麗なものが集まり、汚いところには汚いものが集まるという
類は友・・である。清浄なところに清浄なものが現れるのである。
清いことをする者に神仏は現れるのである。
できるだけ善いことを修行としていくことに、神仏の救いはある。
誰しも救われていないから神仏に頼る。祈る。神仏を必要とする。神仏をつくる。故に、
この世は地獄。地獄の中で少しでも善行に励み、救いを求めてこそ、
地獄に仏は現れる。
信じるものは救われると訓えられる。

世を創造しているのが浄化の法則であるために、絶対善となっている。
善いことをしていくことが理に適い利となる。
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