38歳からの百姓志願~実践編。

霊峰・石鎚を仰ぎ、瀬戸内の陽光を望む愛媛県西条市、「有機菜園 藤田家族」無農薬・無化学肥料の野菜と暮らし。

カセットテープの、時代。

2011年02月06日 | 農と暮らしの日記
藤田家族の音楽ライブラリ(?)から、懐かしいカセットテープ。
というか、畑や野菜の写真を撮り忘れて困ったとき“恒例”、慌てて家の中で何か……ということで。カセットテープは就農の際の引越から現在に至るまで、外に出して並べる場所がないまま、このように引越用の段ボール箱の中にぎっちりと詰められて眠っている。昨日はここでも書いたように夜に人が集まったから、BGMは久しぶりにテープでと思って(かけたのは、スティーリー・ダン、スザンヌ・ヴェガ、ジョン・ルーリーなど)、まだ片付ききらずに積み上げられている引越荷物の段ボール箱から何箱かを引っ張り出したので、そのうち一番上に乗っかっていた箱を開けたら、これ。

たまたまここはベイシーなどビッグバンドが多いようだけど、クラシックも何本か混じっている。
カセットテープは主にアナログ盤だった「LP」を「貸しレコード屋さん」で借りてダビングしたもの。CDの時代になってからはほとんど録音していない。ラジカセで音楽を聴き始めたのは小5か小6の頃で、その当時から高校の頃までは圧倒的に「邦楽」、いわゆる「ニューミュージック」のものが多かった。高校から大学時代にはいわゆる「洋楽」もかなりダビングした。けれどそれらはほとんどすべて、20代半ばに捨ててしまった。いま考えるともったいない。レコードだけでなく、FMからの「エアチェック」も多く、ライブ番組、インタビュー番組などもあったから、残していれば放送局も欲しがる貴重なアーカイブになったかもしれない。

思い出しついでに、書くと。
西条で「貸しレコード屋さん」といえば、僕にとっては「ペニーレイン」だった。他にもあったのか思い出せない。ペニーレインはいまの西条図書館の近く、たぶんパソコンショップ「ナイス」の辺りのような気がする。レンタル料金はレコードの定価の10%。2800円のLPなら280円で、カセットテープはたいてい登道商店街の椿本だったかで1本400円くらいで買っていた。TDKかマクセル。SONYもあったかな。気に入っていたのはscotchで、内部が見える「スケルトン構造」とかでかっこよかった。音がいいのかどうかはよくわからない。それから、LPを借りたら歌詞カードをコピーするのに、県事務所(現在のSICS=サイクス)近くにあった「植木事務機」だったか、文房具&オフィス機器屋さんに寄っていた記憶がある。1枚10円、裏表で20円か。

高校を卒業してからは、レンタルはアパートの周辺で。
京王線・笹塚駅の中にもしばらくはあって、20歳前後には新宿東口、どこかの地下にあった「REC」という貸しレコード屋さんによく行った。もちろんまだアナログ盤で、とにかくJAZZが豊富にあり、1週間で10枚借りられるので、毎週日曜に通ってはダビングを繰り返していた時のテープが、上の写真の中にもかなりあるように思う。その他、大学の友だちなどに録ってもらったものもけっこうある。その後、就職してからはもうそんな時間もなくなった。給料でCDを買えるようになったけれど、なんとなく音楽どころじゃない感じだったのだろう、CDはあまり増えていない。CDやLPのライブラリ(というほどの量では全然ないけど)についてはまた今度、ということで、「回想」はおしまいです。



日曜、今日も暖かいけれど、雲は多め。午後は肌寒くなった。
朝:昨夜遅かったので、ゆっくり7時起き。ごはん。渚はバレーの試合。真は休み。
午前:スーパー出荷は薫に任せて温室建設の続き。今日からは前面・後面の垂直の鉄骨を立てる作業。アーチの上部から吊り下げる形。
午後:引き続き温室の作業。予定していたところまで終わらず、14時半頃から明朝分の収穫。戻って調製、荷作りを途中まで。18時あがり。



5年前の昨日、研修先の相原農場を「卒業」、翌週にはまず単身で帰西し、就農した。
この季節になると、「初心に帰る」という心持がどこからか浮かびあがってくる。

コメント (2)
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